元気印の死。

今日、山本寛斎が21日に死んだことが報じられた。享年76。
急性骨髄性白血病と闘っていたそうだ。知らなかった。
森英恵などの世代は別にして、パリコレへまず打って出たのは高田賢三であった。今から50年前となる。そのブランド名がジャングル・ジャップということが驚きを持って報じられた。一体全体何で「ジャップ」なんて名をつけたんだってことで。私も憶えている。何だこいつは、と思った。が、高田賢三はケンゾーの世界を確立していった。
山本寛斎がロンドンからパリへ打って出たのはその少し後。現在、日本を代表するデザイナーである山本耀司や川久保玲より前。
山本寛斎、アーティストというかアルチザンというかそのようなデザイナーとしての王道を突き進む山本耀司や川久保玲とは、異なった道を歩んでいるように思われた。
大がかりなパフォーマンスというかスペクタクルショーのようなこともやっていたが、私には何だそれは、大がかりな田舎芝居みたいじゃないか、と思われた。が、山本寛斎がその折々に着ている衣装には惹かれていた。他の誰もがなし得ない服、衣装なんだ。
元気いっぱい、張り裂けるって感じ。
山本寛斎その人自身が元気いっぱい、元気印を体現していた。
NHKEテレが夜中に流している番組に「SWITCHインタビュー 達人たち」というものがある。二人の達人が対談する。
去年だったと思うが、そこに山本寛斎と旭山動物園の園長との対談が流された。
話が盛り上がり、寛斎、今度旭山動物園の何だったかそれを自分に任せてくれと迫った。その何だったのかは忘れたが、旭山動物園でオレのパフォーマンスをさせてくれないか、というもの。寛斎、決断が速いんだ。
しかし、旭山動物園の園長の腰は引けていた。いろいろ動物園の会議に諮らなければならないので、と。
山本寛斎の自由度、元気印が際立った。
76歳ってまだ若いよな。