バンクシーを盗んだ男。

一昨日、バスキアのことを記したが、その後昨日、ゴードン・マッタ=クラークのことを思いだした。ニューヨークのストリートアーティストとして。
1943年生まれのマッタ=クラーク、70年代のニューヨークのアートシーンを駆け抜けた。キース・ヘリングやバスキアの10年先を。ニューヨークの町を縦横に。
一昨年秋、国立近代美術館へ「瀧口修造と彼が見つめた作家たち」という小さな企画展を見に行った。その時、ゴードン・マッタ=クラークの大がかりな展覧会が行われていた。初めてマッタ=クラークという、70年代のニューヨークを駆け抜けた作家を知った。それを一昨日は忘れていた。昨日、記すことも。
マッタ=クラーク、1978年に35歳で死ぬ。癌での死なので、キース・ヘリングのHIVやバスキアの薬物過剰摂取と比べ(んっ、アーティストはHIVや薬物過剰摂取で死ななきゃならないのか、という声が聞こえてきそうなので)このあたりで納めるが、35歳での死はアーティストである。
昨日は、LIXILギャラリーからもメールが来ていたが、それを記すのも忘れていた。
LIXIL、1981年に伊那ギャラリーとして開廊以来、40年に亘り続けてきたLIXILギャラリーを閉廊するという。LIXILギャラリー、大小3つの展示室でユニークな展示を行っていた。京橋近辺に行く折りなど寄っていた。撮影も許されていたので、「流山子雑録」にも、面白いってものは何度も取りあげた。
LIXILという大企業でも、悠長な文化事業は続けられないということだろう。寂しいが、それが現実か。


この男もストリートアーティストである。ご存じ、バンクシー。
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バンクシー、神出鬼没、正体不明のアーティストって言われているが、ホントにそうかなー、そんなことなかろう、とずっと思っている。
霧の中か靄に包まれている方が、という世界中暗黙のコンセンサスがあるのではないか、とも。
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『バンクシーを盗んだ男』、イギリスとイタリアの合作ドキュメンタリー。
しかし、「バンクシーを盗んだ男」ってどういうことか。
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2007年、イエスが生まれたベツレヘム、パレスチナのヨルダン川西岸地区にバンクシーが現れたそうだ。で、パレスチナとイスラエルを分断する高さ8メートルの分離壁に、Ⅰ4人のアーティストと共に絵を描いた。
が、その中の1点、≪ロバと兵士≫が波紋を呼ぶ。パレスチナでは、ロバは侮蔑的なイメージがあるらしいから。
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≪ロバと兵士≫、この上の作品。
しかしこれ、パレスチナの分離壁ではない。どこかの室内。ロープで囲われている。
そう、この≪ロバと兵士≫、パレスチナからオランダ、そしてアメリカへと旅をする。何故か。
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「彼の作品は単なる落書きではなく、我々の信念やメッセージ、存在の意義を反影したものです」、と語るベツレヘムの女性市長もいるが、「バンクシーの作品は金になるらしいぞ」、という下の目隠しの男たちもいる。
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観光客が多く来るぞ、という上のおじさんもいる。
中でもワリドというタクシー運転手が出てくる。がたいのデカい男である。この男、こう語る。「バンクシーのヤツめ、偽善者ぶってやがる。クソ野郎だ」、と。ロバの件もカチンときていたのであろう。
ワリドたち、高圧カッターで≪ロバと兵士≫を切りだし、eBayのオークションにかける。で、≪ロバと兵士≫の旅が始まる。
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実はこのドキュメンタリー、監督のマルコ・プロゼルピオが、その5年後、≪ロバと兵士≫に関わりのある人たちを追ったもの。皆さん、バンクシーとともにある。
それと共に、所有権、占有権、著作権、という問題にもつながっていく。バンクシー、あちこちの建物、構造物に勝手に描いていくのだから。
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バンクシー、「壁は強大な武器になる。人の心をぶち抜くヤバイ武器だ」、と語っているのだが。商品にもなっちゃってるよ。
ところで、バンクシー自身が撮ったドキュメンタリーがある。”EXIT THROUGH THE GIFT SHOP”。
第83回アカデミー賞の長編ドキュメンタリー部門にノミネートされている。
Webサイトもある。
どうして正体不明なのか、不思議。やはり、世界を通じた共通のコンセンサスがあるのであろう。


今日、X線とCTを撮りに行った。
肺のモヤモヤ、腫瘍か否かの経過観察のための撮影。
今の主治医の若い医者は、「私は腫瘍ではないと思います」、と言う。で、3か月毎にX線とCTを撮り、若い医者は画像を比べている。聴診器などはまったく当てない。画像の比較のみ。私はもう、この若い医者に任せている。3か月後か6か月後、やはり腫瘍のようですね、とこの若い医者が言っても、それはそれ受け入れようと思っている。
今日撮った画像の判定は来週。で、電車に乗りレストラン街も開いているというショッピングモールへ行った。 少し飲んで帰ろうと。
ショッピングモールの入口に、男女2人のフェースシールドをつけた人が体温を測っている。額に用具をかざし次々に。
私は、35度5分であった。昨日は35度8分であった。昨日よりコンマ3分低くなっている。
この様子だと、明日は35度2、3分となり、明後日はジャスト35度となり、その後は34度代に入っていくやもしれないな、と考える。
昨日、今日と二日続けて病院へ行ったが、あと一週間は出る予定がない。病院へも飲み屋にも行かない。だから、体温を測ることもない。34度代に突入することもない。