オホーツクふらふら行(4) 静寂。

知床博物館からすぐ、3分足らずで北のアルプ美術館へ着いた。
途中人影がまったくない。
私を下ろしたタクシーは引き返していった。
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北のアルプ美術館。
ここにも人影がない。
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落ちついた色調の洋館。
何本か煙突がある。
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ウヌッ、このような表示がある。
調べてはいたが、見落としていたようだ。
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庭内を見回す。
物音がまったくない。静かである。
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雪の中から北の樹木が生えている。
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向こうに白い柱が見える。
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串田孫一の仕事部屋 復元記念、と記されている。
山に疎い私はその誌名を知るのみだが、串田孫一はその「アルプ」の創刊者。尾崎喜八、深田久弥、さらに版画家の畦地梅太郎など、山が好きでお行儀のいい人たちが集っていたそうだ。昭和33年から300号を刊行、昭和58年に廃刊、とアルプに関するサイトにある。
で、この北のアルプ美術館の中に、串田孫一の書斎が復元されているそうだ。雪の中に立つこの白い標柱は、その時に立てられたものであろう。
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やや不鮮明だが、若い女性像。
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これは笛を吹く若い男の像。
いずれも作家名やタイトルは、雪の下となっている。
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白樺(だろうな)。
北のアルプ美術館には入らなかったが、その庭内だけで北のアルプ美術館を見た感じを受けた。
それにしても静かであった。ただ、静寂。
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暫らく庭内にたたずみ、このとんがり屋根の電話ボックスからタクシー(こちらではハイヤー)会社へ電話した。この日初めに親切な中年女性が呼んでくれた、知床博物館へ行く時に乗ったタクシー運転手からレシートをもらっていたので、そこへ。
東日本大震災の翌年初め、かろうじて繋がった釜石から気仙沼までのバス、その乗り継ぎの盛から津波で壊滅した大船渡へタクシーで行った。「お帰りには呼んでください、この番号に」といってレシートを受け取った。すべて流された大船渡の町を見た後、電話したがつながらない。レシートには市外局番がなかったんだ。往生した覚えがある。それ以来、地方でタクシーに乗る時にはレシートをもらうようにしている。帰りのために。
斜里のタクシーにはすぐつながった。
さほど待つこともなくタクシーは来た。
斜里駅へ戻る。