河瀬和世展。
やはり夏の頃、河瀬和世さんから和紙とコラージュの案内をいただいていた。8月の展示案内も頂戴したが、それは失礼した。
墨田区のランドマーク揃い踏みを見ながら・・・
ギャラリーアビアントへ。
≪白い波≫ 白 和紙。
白いボードに白い和紙。朧に漂い浮かぶよう。
「横にすることができるんです」、と作家。
「このように裏返しても」、とも。
河瀬和世の作品、タテにしてごらんなさい、ヨコにしてごらんなさい、裏返してごらんなさい、さわってみなさい、と参加型の作品である。
後ろの作品も白い和紙作品。
このような。
≪光の路≫。
白い和紙、幾重にも幾重にも。
こちらは面白い。さまざまな紙のコラボ。
コラージュだ。
≪小さな教会≫。マレーシア紙(墨・顔彩他)。
紙そのもの。味がある。
すぐ横の小さな作品は、≪中庭の階段≫。マレーシア紙・杉皮紙・手染め和紙(墨・染料)。
白い壁。パティオへ下りる小さな階段。南欧の田舎町を思わせる。
≪三日月と窓≫。マレーシア紙・手染め和紙(墨・染料)。
案内はがきにフィーチャーされた作品、≪窓の中の窓≫。手染め和紙(墨・染料)。
窓の中の窓って、深そう。何やら隠された意味があるやもしれず。
それにしても、河瀬和世の作品、それぞれの作品を飾るその額縁が素晴らしい。これも和紙で作られたものである。
紙でどうして、と思うほど堅牢なものに作られている。さらに何より美しい。
ここも楽しい。
≪窓と公園≫。杉皮紙・手染め和紙(墨・顔彩他)。
≪便りが届く≫。杉皮紙・マレーシア紙・手染め和紙(墨・顔彩他)。
さまざまな紙が共鳴しあっている。
裏返すと、このよう。フランスの田舎町の小さな教会が現れる。
「8月のさかな展には来られなくて」、と話すと河瀬さん、「その時の作品まだあります」、と言う。「ぬいぐるみを作ったんです」、と言い、奥の方から作品を二つ持ってきた。
一つはこれ、イカである。和紙で作ったイカ。動きそう。
もう一点はこれ。タイではなく、たしかコイ。
和紙で作られたぬいぐるみのコイ、持つとふわふわとした感触であった。
ギャラリーを辞し振りかえった。
窓を通しギャラリーアビアントの中が見える。オーナーのノブコさんの姿も。
外を向いている作品がある。
これ。
≪はじける≫。白 和紙。
和紙の世界、奥深い。
中曽根康弘が死んだ。101歳。
圧倒的な存在感のある政治家であった。世界という目で見ても。今の政治家では見当たらない。巨星ということから言えば、存命の人ではゴルビー・ゴルバチョフとメルケルぐらいじゃないか。残っているのは。
ロン・ヤスの間柄、今の安倍とトランプのような薄っぺらなものとはまったく違った。知識、哲学の裏づけがあった。
多くの人が悼む言葉を述べている。左右両翼から。
中曽根康弘といえば、50年以上、60年近く前のことを思いだす。
1962年2月、アメリカの司法長官であるロバート・ケネディが早稲田の大隈講堂で演説した。
JFKが暗殺された後、弟のロバート・ケネディが大統領選に臨みながら彼もまた暗殺される何年か前であった。
早稲田の大隈講堂、異様な熱気に包まれていた。私も、その中にいた。
早稲田は左翼の牙城、それに対抗するために拓大と国士館の右翼学生が動員され大隈講堂に送りこまれた、といううわさが流れた。それを仕掛けたのが中曽根康弘である、と伝えられた。中曽根が拓大総長になる少し前だが、さもありなん、という話であった。
ロバート・ケネディの演説、講演は劇的なものであった。ロバート・ケネディが話し始めた直後、大隈講堂の館内、真っ暗になった。電源が飛んだ。電源を切ったのは左翼か右翼か、分からずじまいであったが、中曽根康弘といえばこの時のことを思いだす。
大勲位・中曽根康弘、思いに残る男であった。