立憲君主と大元帥。

一昨日から昨日にかけての夜間、パソコンに何らかの問題が起きた。
この1年近くのメール、受信メールも送信メールも消えてしまった。一昨日記した「流山子雑録」も本文がすっかり無くなっていた。理由は分からない。
昨日、ヤマダ電機の電話サポートを頼んだ。大分時間がかかったが、メールは復活した。このブログも大丈夫だろう。
一旦記したことを今一度記すことは、あまり面白いことではない。下書きなどないので、まったく同じにはならないのだが、当然のことながら、同じテーマだと似たような記述になる。楽しくない。
しかし、日本の夏は戦争の夏である。日本の戦争は昭和天皇と結びつく。この一週間のNHKでも幾つかのドキュメンタリーが流された。昭和天皇がらみの。
日本の夏を記す。


<私は田中内閣の苦い経験があるので、事をなすには必ず輔弼の者の進言に俟ち又その進言に逆はぬ事にしたが、この時と終戦の時との二回丈けは積極的に自分の考を実行させた>。
今までにも何度も触れたこの時季の私が手に取る書・『昭和天皇独白録』(文藝春秋 1991年刊)には、こういう昭和天皇の声がある。
この中で昭和天皇が「この時」と言っているのは、2・26事件のことである。
2・26と終戦の時には、立憲君主ではなく軍人天皇として、大元帥として行動した、と語っている。
同書ではまた、こうも語られている。
<私は立憲国の君主としては、政府と統帥部との一致した意見は認めなければならぬ、・・・・・、戦争を止める事に付ては、返事をしなかった。十二月一日に、閣僚と統帥部との合同の御前会議が開かれ、戦争に決定した。その時は反対しても無駄だと思ったから、一言も云はなかった>。
開戦時には、立憲君主であるから政府の考えを追認し、2・26と終戦時には、大元帥として行動した。昭和天皇の行動、その時々で自らの立場を使い分けている、矛盾するじゃないか、という声はある。
しかし、そうではないんだ、ということを『「昭和天皇実録」の謎を解く』(半藤一利、保坂正康、御厨貴、磯田道史共著 文春新書 2015年刊)で、半藤一利が語っている。
<実は私は、昭和天皇には三つの顔がある、と考えているんです。ひとつは「立憲君主」としての天皇、もうひとつは陸海軍を統帥する「大元帥」。そして両者の上位にさらに、皇祖皇宗に連なる大祭司であり神の裔である「大天皇」がおわす、というのが私の仮説です。この天皇と大元帥は、一身でありながら、時に重大な相克や齟齬を生じさせ、・・・>、と。
たしかに、そう。一身でありながら、立憲君主と大元帥。重大な相克や齟齬を生じるのは必然。


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台風10号が西日本を北上していた15日夜のNHKスペシャル。
「全貌 二・仁六事件」、極秘資料で追う。
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「極秘」。
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天皇は、決起部隊の行動を拒否する。
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陸軍大臣は決起軍の要求を容れる。
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昭和天皇は海軍に対し「大海令」を出す。
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陸軍首脳には、「彼等ノ言分ニモ理アリ」という空気があった。
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北一輝、西田悦の名がある。
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昭和天皇、決起部隊・反乱軍の鎮圧を強く命じる。
<朕ガ股肱ノ老臣ヲ殺戮ス、此ノ如キ凶暴ノ将校等、其精神ニ於テモ何ノ恕スベキモノアリヤト仰セラレ>(保坂正康著『昭和天皇実録』その表と裏③ 毎日新聞出版 2016年刊)。
昭和天皇の怒り、なまなかなものではない。
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奉勅命令が出る。
参謀総長・閑院宮載仁親王名であるが、昭和天皇の命により。
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決起軍、海軍はもとより、この段階で陸軍上層部との間は断ち切られた。
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決起部隊の青年将校は、こういう思いであった。
しかし、昭和天皇は徹底鎮圧を命じる。軍人天皇として。
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昭和天皇の中では、終戦時と2・26事件時が深く心に残っている模様。
それはそれとし、昭和の時代・戦争の時代のご自身の責任については、最後まで明らかにされなかった。人間らしいといえば人間らしい。
それを引き継いだのが先帝である。
平成の天皇、自らの努めを父君・昭和天皇がやり残されたことごとを果たされてきた。美智子皇后とともに。
先帝である現上皇、素晴らしい行動を成しとげられた。
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今日、韓国は「GSOMIA」の破棄を決めた。
驚いた。
何とー。
両国の信頼関係が失われれば、致し方ないか、とも思うが。
「日韓請求権協定」に関しては、明らかに日本側に理がある。
韓国側も、そのことは理解しているであろう。しかし、そうは言っても、ということもある。何のかのと言っても、植民地支配を受けてきたのだから。
こういうことは、論理以前のこともあるんだ。日本側も論理、論理ばかりじゃなく、その気持ちの機微、汲んでもいいのじゃないか。韓国側も、そのほんのちょっとした反応を待っているに違いないので。