霞を食ってる仙人だと思っていた丸山さん、その対極の場のエキスパートでもあった。

人間の思い込みというものは、後で思えばなーんだということでも、案外気づかないものである。
写真家・丸山則夫と知り合って5、6年となる。その間、10数回、あるいはもう少し会っているであろうか。夜明け前の一瞬のみを切り取る写真家として、また、何か不思議な人として。まさに霞を食って生きているような人だとずーと思っていた。霞だけを食って生きていくのは難しいだろうな、と。ずーっとそう思い込んでいた。
f:id:ryuuzanshi:20190426210103j:plain
ひと月少し前、丸山則夫展の案内はがきが来た。このような。
「あ・うん」展。
あ・うんといえば仁王さまだな、仁王さまが幾つものピースに分解され再構成されているのかな、と考えていた。
f:id:ryuuzanshi:20190427181528j:plain
両国である。
2、3年前、美術評論家・早見堯つながりで訪ねたアートスペースも両国であった。隠れ家のようなアートスペース、相撲部屋と相性がいいのだろうか。
f:id:ryuuzanshi:20190427182106j:plain
部屋へ入る。すぐ右側に大きなこの作品がある。
丸山則夫≪阿吽≫。
「あ・うん」、漢字の「阿吽」となっている。天地1.5メートル、左右3.6メートル、大きな作品である。
訊いたのだが忘れたが、富山県のお寺の仁王さまを撮ったものだそうだ。これのみは夜明け前でなく、と作家は語る。さらに、仁王さまの山門も本堂の方から見たように反転した、と。それ故であろうか、多くは右側にある阿形が左側となり、左側にある吽形が右側となっている。そこにどのようなものがあるのか、当事者でなければ分からないものがある。そういうものなんだ。
f:id:ryuuzanshi:20190427182147j:plain
阿形。
f:id:ryuuzanshi:20190427182159j:plain
夜明け前の木の年輪。
f:id:ryuuzanshi:20190427182213j:plain
吽形。
f:id:ryuuzanshi:20190503181359j:plain
丸山則夫展の案内はがきの裏面には、このようなことも記されていた。
「吾輩はタマである」、との。
f:id:ryuuzanshi:20190427182251j:plain
こちらの壁面へ。
「吾輩はタマである」、との。
f:id:ryuuzanshi:20190427182241j:plain
夏目漱石の『吾輩は猫である』は、<名前はまだない。どこで生まれたかとんと見当がつかぬ>、と始まる。が、丸山則夫の『吾輩は猫である』は、こうである。生まれは長野で、名前もタマであることがおいおい明らかになる。
f:id:ryuuzanshi:20190427182245j:plain
そして、こうつながっていく。
f:id:ryuuzanshi:20190427182300j:plain
丸山則夫の猫の写真と文は続く。
f:id:ryuuzanshi:20190427182339j:plain
ひとつ取り出そう。
f:id:ryuuzanshi:20190427182348j:plain
この猫ちゃんは・・・
「何してる?」って。
f:id:ryuuzanshi:20190427182538j:plain
こう行き、角で曲がり・・・
f:id:ryuuzanshi:20190427182542j:plain
こうつながっていく。
f:id:ryuuzanshi:20190427182605j:plain
こうつながっていく。
f:id:ryuuzanshi:20190427182608j:plain
あとひとつ取り出そう。
その前に、丸山則夫の猫写真が納まっている額、すべてワイヤーフレームである。「すべて小林によるワイヤーアートです。すべて異なるオリジナルです」、と丸山則夫は語る。この日はいなかったが、小林さん、丸山則夫のパートナーである。いつも寄り添っている。ワイヤーアートの作家である。
それはそうと、この猫ちゃん・・・
<腹減った>、と言っている。
f:id:ryuuzanshi:20190427185741j:plain
こう流れ・・・
f:id:ryuuzanshi:20190427185804j:plain
丸山則夫版『吾輩は猫である』、これにて終幕となる。
f:id:ryuuzanshi:20190427190142j:plain
いつものように霞を食っている男・丸山則夫を撮らせてもらう。
f:id:ryuuzanshi:20190427185745j:plain
その前後に中年の女性が入ってきた。
20年以上ぶりに丸山さんと会うということであった。
その女性と丸山さんとの会話に驚いた。
霞を食って生きているのであろうが、それもきついだろうな、と思っていた丸山さん、霞を食う仙人とは対極の分野のエキスパートであることが分かった。
丸山則夫、ITの先端分野のエキスパートであった。私はそうはまったく思っていなかった。
今までも気をつければ分かっていたことであるが、夜明け前の短時間のみしか写真を撮らない不思議な写真家、というイメージにとらわれていたというか、そう思い込んでいた。丸山則夫という人間を。
f:id:ryuuzanshi:20190427185838j:plain
「阿吽」で辞する。
f:id:ryuuzanshi:20190427185920j:plain
「あ・うん」で。
f:id:ryuuzanshi:20190427190417j:plain
と、20年以上ぶりで丸山さんに会った女性、「お二人の写真をお撮りしましょうか」、という。今まで丸山さんの写真は何度も撮ってきたが二人で撮ったことはない。
私は、昨日記した蓜島さんや先日退位され上皇となられた先帝よりは若いが、80目前。その折々、お会いする人々にこれが最後の、これが今生の、という思いを抱いている。
で、この場面でも。