平成が終わる。天皇は「象徴」を一貫して追い求められた。

あと数時間で平成の御代が終わる。
今上天皇、自らに課した「天皇は、日本国の象徴であり国民統合の象徴であって、この地位は主権の存する日本国民の総意に基く。」、という憲法第1条の文言を真摯に、また厳格に追い求めてこられた。さらに、憲法第1条の条文にある「象徴」に加え、天皇ご自身の「象徴感」をつけ加えて。
30年間一貫して変わらぬ自らの思いを貫ぬかれた。
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今日午前10時すぎ、天皇は、天皇のみに許された赤味がかった茶色の束帯姿で皇祖・天照大神を祀る皇居内の賢所での「退位礼当日賢所大前の儀」に臨まれた。
正午のNHKニュースから。
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その後、皇霊殿、神殿と宮中三殿に退位礼を行なうことを報告、拝礼された。
宮中三殿、生前の三島由紀夫が若かりし頃の慎太郎に「命を賭してもお守りするところ」、と嘯いていたところである。間もなく退位される今上天皇、皇太子時代であったが、迷惑なヤツとお思いであったであろう。
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午後5時、皇居宮殿、松の間で「退位礼正殿の儀」が始まった。
天皇、皇后、皇太子ご夫妻、秋篠宮ご夫妻、その他の皇族の皆さまが入ってくる。
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侍従に捧げ持たれていた剣璽も。
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国民を代表し安倍晋三が挨拶をする。
安倍晋三の挨拶、天皇に対する感謝を述べるが、最も重要なことは、今日のこの天皇の生前退位はあくまでも皇室典範の特例法に則っておこなうものである、ということを抑えることであった。
はっきり言って、今上天皇と安倍晋三は表面上はともかく、合わなかった。お互いに「困ったお人だ」、と思っていたであろう。「臣茂」と称した吉田茂の如く、「臣晋三」と思ったことはないであろう、安倍晋三は。
それ以前から漏れ聴こえてはいたが、平成28年(2016年)8月8日に退位の思いをにじませた今上天皇のビデオメッセージが流された時、安倍晋三は頭を抱えたに違いない。「生前退位」などもってのほか、と。
それ以前から、天皇と内閣総理大臣である安倍晋三との間には水面下のバトルがあったであろう。
今上天皇は、憲法もよく読みこんでおられる。
日本国憲法第4条、「天皇はこの憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない」という条文を重々理解しながら、自らの意志を通す正面突破をはかられた。
憲法にも皇室典範にも明記されていない「生前退位」を。明確な意志を持って。
この意志、行為は憲法に抵触するかもしれない、ということは天皇ご自身お考えになっていたのでは、と愚考する。おそらく、そうであろう。しかし、年齢を重ねられてこられた身体の衰えを自覚すれば、これぞ正義というお心であったであろう。
多くの国民は天皇のお気持ちを支持した。もうゆっくりとした日常をお送りいただきたい、と。
多くの国民は、「ありがたい」、「平成の世に、天皇陛下に感謝いたします」、と言っている。で、退位されてください、と。
しかし、安倍晋三は困ったに違いない。で、一代限りの特例法とした。
まあ、時間稼ぎである。根本には、男系男子のみが天皇を継ぐことができるという現在の皇室典範に無理がある。女性天皇ばかりじゃなく女系天皇も認めるべき時にきている、と言っていい。
万世一系と言われる皇室・天皇家、そうでなければ存続は難しくなるだろう。
明日から皇嗣となられ皇位継承順位第1位となられる秋篠宮も、「兄とはさほど年が離れておらず、将来もしもの時には私もある程度の年齢、引き受けられない」と語っておられる。悠仁さまおひとりでははなはだ不安である。
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天皇は短いお言葉を述べられた。
国民に対する感謝を。
夕刻からのテレビ報道を見ていた。
ほとんどすべてといってもいい国民が、「天皇陛下、皇后陛下に感謝いたします」、と語っている。私たち国民に寄り添ってくださった、と。豪雨、地震、津波、その他の災害時にたちどころに被災地を訪れられ、災害にあった人々を慰問する天皇、皇后のお姿にである。
天皇の公務と言われるもの。
<明仁天皇は、象徴としての望ましい天皇の在り方を求め続けてきた。・・・・・しかし自身にとって、それはあくまでも象徴としての望ましい姿を模索しただけであり、・・・・・、まずはそれが自らについての日本国憲法の規定であるからである(吉田裕他編他、『平成の天皇制とは何か』岩波書店 2017年刊)。
この他、今上天皇が生前退位されることに関し幾つかの書を読んだ。
中で、高橋源一郎編著『憲法が変わるかもしれない社会』(文藝春秋 2018年刊)が面白かった。
長谷部恭男(東大名誉教授であるが、高橋源一郎は「憲法界のキムタク」と呼ぶ)初め何人かの学者や自らの意思を持つ人との対話が詰まる。
この書、高橋源一郎が所長を務めている明治学院大学国際学部付属研究所主催の公開セミナーをもとにした書である。
<象徴としての役割・お務めーその中核にあるものとして今上天皇は大きく二つを挙げていました。ひとつは祈り、いわゆる宮中祭祀です。・・・・・。もうひとつは、それに劣らないぐらいの重要なものとして行幸があるんだ、>、と記されている。
行幸は天皇の公務である。
が、天皇は、国事行為、公務、そして宮中祭祀という行いを務めてこられた。多くの国民には「私たちに寄り添っておられる。ありがたい」、という一面が醸成された。
が、天皇は数知れず祈っておられる。目に見えぬところで。
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<・・・・・、そんな環境下にあった今上天皇の姿から見えてくるのは、ある種の原罪意識です。つまり、戦争責任の原罪ー責任を持った家のトップに立ったものが宿命的に感じる原罪であり、一種のノブレス・オブリージュでもあるでしょう。そういったものの集合として、今上天皇がいる感じがします>、と高橋源一郎は語る。
父君・昭和天皇が、行こうと思っていたのだが行けなかった、と言われる沖縄へ11回も訪れられていることをとっても、平成の天皇、皇后両陛下の思い、幾重にも感じる。
今上天皇は、父君・昭和天皇が果たされなかった戦争責任のことごとを自らの使命として果たされた。
美智子皇后はそれを支えられた。同志として。