今年のおまけ(3) 階段。

いいなー、味があるなーって階段がだんだん少なくなっている。その中頑張っているのが銀座・奥野ビルの階段である。
奥野ビル、そのエレベーターも手動で素晴らしいものだが、階段もまた味がある。

これは4階から3階への踊り場であったであろうか。
ガッシリとした手すり。長年、多くの人が踏んですり減っている床。

すり減っているというより、剥がれている。その度合い、踏まれる頻度、その強さによって3層になっている。階段の手すり側が最も剥がれている。たしかに、曲がる時には少し力がかかる。
実は、このすり減り方、剥がれ方を維持していく努力もなされている。すり減ったり剥がれたりしたところを元通りに直す、修復するというようなことはしない。それでは味消しだ。奥野ビルではなくなってしまう。
年に数回ではあるが奥野ビルに行く。何年か前、修復作業の黒いシートで覆われていた。メンテナンスをしていないのではない。ビルを維持する基幹となるところには手を入れている。しかし、時間が紡いできた味はキチンと残していく。そういうスタンスである。
先般、久しぶりで訪ねたら夏前に閉鎖しなくなっていた、写真家の丸山則夫さんがやっていた501号室のRONDOなどその典型であった。501、角部屋であるので窓があったのだが、いつの頃かそれが塗りこめられ何とも味のある壁面となっていた。新しい味であった。
少し横道に入る。つまり、脱線する。
ここ暫らく、私は丸山則夫さんを探していた。手がかりはない。が、ひとつだけ、写真家という手がかりで。分かった。神楽坂の画廊で展覧会をしていた。
1週間ほど前、会いに行った。奥野ビル501号室でRONDOをやっていた時と同じく何とも言えずほんわかとした奥さんと一緒にいた。
「どうして食っているのか分からないどうこうって書いていたでしょう、私のことを」、と丸山さんから言われた。「はは、そうでしたね」、と応じた。それより、丸山さんがずっとこの「流山子雑録」を読んでくださっているのに驚いた。
丸山さんの作品、素晴らしいものである。夜明け前の一瞬を切り取っている。それらの作品については、改めて載せたいと考えている。来年、溜まった映画があるので2、3か月先になるかもしれないが。

階段を降りよう。
奥野ビルの3階から2階へ。
先の方の左に何か見える。

これ。
薬瓶のようなものと枯れた枝。
奥野ビルである。

2階から1階へ。
白っぽい壁のでこぼことししたマティエール。深い緑っぽいタイル。こうして切り取ると、それぞれの壁面、面白い。

近寄ると、壁面にはヒビもある。
これも欠かすことのできない味。

奥野ビル、竣工は1932年(昭和7年)。今年、86歳となる。
ビル自体もアンティーク。