海の道 ジャランジャラン。

4年前となるか、東博東洋館の大改修が終わりリニューアルオープンをして以来、毎年秋には「博物館でアジアの旅」という企画展が催されている。
昨年秋には「マジカル・アジア」。一昨年秋には「東博と上海博物館とのコラボ」。その前の年には「発見!つながるアジア」、東洋館の前ではサムルノリの演奏と踊りが披露された。
いずれも東博所蔵品による「アジアの旅」、アジアのさまざまな占いであったり、日中韓の伝統衣装を着る体験企画であったり、単なる展示のみでない催しも加えている。東博もこれまでの博物館好きの連中ばかりじゃなく、新しい客層を開拓する努力をしているようだ。

この秋の東洋館入口。

影絵人形芝居のワヤンが迎えてくれる。
今年は、日本とインドネシアの国交樹立60周年にあたるそうだ。で、この秋の「博物館でアジアの旅」のテーマはインドネシア。だから入口にはワヤンが。

約1万に及ぶ島々で成り立つインドネシア、とても大きな国である。
国土は、約190万平方キロメートルであるから日本の約5倍、人口は、約2億5千万人であるから日本の約2倍。これから人口が減少していく日本と異なり、発展途上の国である。これからの国。

この秋企画のタイトルは、「海の道 ジャランジャラン」。
約1万の島々を持つ海洋国家とも言えるインドネシアであるから、「海の道」はまさにそう。後ろについている「ジャランジャラン」は、インドネシア語で「散歩」という意味だそうだ。海洋国家・インドネシアを散歩する、ということか。国交樹立60周年を記念して。
60年前のインドネシア、スカルノの時代であった。スカルノ、第三世界の盟主のひとりであった。
第三世界と聞くと、私の世代だと胸に来るものがある。
思いだす。インドのネルー、エジプトのナセル、ユーゴのチトー、中国の毛沢東と周恩来、ガーナのエンクルマ、さらにキューバのカストロやベトナムのホー・チ・ミン。これらの第三世界のヒーローたちを。
いやー彼ら、存在感があった。今、改めてそう思う。
今、あとひとつ思うことがある。
時折りテレビにデビ夫人が出てくる。スカルノの第3夫人であるデヴィ夫人・根本七保子さん、デビ夫人として元気いっぱいバリバリのタレント活動をしている。半世紀以上前のスカルノ夫人が現在でも現役、すぐ目の前にいる、ということに驚く。
スカルノは、遥か昔にであるのだが。
博物館とは直接には関係のないことを思ってしまった。
東洋館の中に入ろう。

手前の銅鼓を通してワヤンを見る。
この秋の「海の道 ジャランジャラン」、銅鼓ばかりじゃなく霊力を持つ刀・クリス、さまざまな陶磁器、その他の展示があった。
が、ここではワヤンとバティックに絞る。

ワヤン、人形芝居の人形である。


これらは平面的なワヤン・クリ。


インドネシアへ行ったことはない。
ずいぶん昔、何時だったか、上海だったか北京だったか、或いは香港だったか、古道具屋でワヤンを買ったことがある。ワヤン・クリを。


ここからは立体的なワヤン・ゴレを。






この部屋に入る。

バティックである。

左下を取りだす。

美しい。

このようなもの。

ここは・・・


こうであり。

これは・・・

こうである。

ここ。

これは・・・

こうであり。

左下の赤い上衣・上着は素晴らしい。カッコいい。

スタンドカラーの上着、インドのマハラジャの衣装に通じる。東南アジア、タイの王族の衣装にも。中国の袍(パオ)にも。
私は大好き。

先般、11月27日に「おべんとう展・おすそわけ横丁」のことを記した。
私に声をかけてきた北澤潤という作家のことを。
その後、作家・北澤潤にメールをした。「流山子雑録」に載せた、と。北澤潤からはメールの返信が来た。
私を北澤潤の不定期のニュースレター配信に登録した、と。
そのサイトを見たら驚いた。
北澤潤、東京のみならずジャカルタにも事務所を持っている。インドネシアに長期間滞在、フィールドワークを行っている。
北澤潤、東京藝大大学院博士課程を出たアーティストであり、フォーブスの2016年のアンダー30のアジアの30人に選ばれたアーティストではあるが、文化人類学の分野を掘り下げてもいる模様。インドネシアのアーティストとの共同作業も行っている。共働を。
時代を切り裂くアーティストのひとりだ、と感じる。