名作誕生 つながる日本美術展。

豪華な美術誌である『國華』の創刊は明治22年(1889年)、世界最古の美術雑誌であるそうだ。
明治政府の後押しで岡倉天心たちが創刊した。創刊の辞を岡倉天心が書いている。「美術ハ國ノ精華ナリ」、と。誌名の『國華』はそこからきたらしい。
大判で美しい図版の雑誌はクオリティーの高いものであったが、経営的には厳しく、創刊後すぐ朝日新聞の創業者である村山龍平と上野理一が個人的に支援していた、という。が、その後、経営は朝日新聞社に移って、戦時中の中断はあったものの今日まできたということのようだ。
最新号は1476号、税込み7560円、と出ている。もちろん買ったことはない。見たことも何度か程度しかない。誰が買うのかな、とつい思ってしまう類の雑誌。おそらく、国内ばかりじゃなく海外も含めた美術館や博物館、それに図書予算の潤沢な大学が主ではなかろうか。大した数ではなかろう。痩せ我慢の覚悟が求められる出版だ。

5月初旬の東博正面。常のようにチャリンコが停まっている。
小さくて読めないが、「創刊記念『國華』130周年・朝日新聞140周年」と記されている。

平成館内の垂れ幕。
「つながる日本美術」って、作品や作家同士、あるいは共通するモチーフなどの「つながり」に着目し、大胆に展示するってことのようだった。
例えばこの作品・・・

国宝 雪舟等楊≪天橋立図≫。室町時代、15世紀。
雪舟が模範とした南宋の画家のみならず、雪舟と同時代の明の絵画が与えた影響を「つながる」として。

伊藤若冲は若い頃、中国の絵を数多く模写していたそうだ。
例えば若冲の「鶴」にみるつながりは、こうなるそうだ。
右上は、元〜明時代の画家・文正の≪鳴鶴図≫。左上は、陳伯冲の≪松上双鶴図≫、明時代。
右下は、狩野探幽の≪波濤飛鶴図≫。1654年。
そして左下は、探幽の後、伊藤若冲の≪白鶴図≫。18世紀。
若冲、中国の先達の絵を見事になぞっている。つながっている。
もうひとつ若冲を。

大阪、西福寺の襖絵≪仙人掌群鶏図襖≫。若冲の代表作のひとつである。

左は、西福寺の襖絵の右端。そして右は、そのはるか前、30年前の若冲初期の≪雪梅雄鶏図≫。
若冲、中国の先達の作品を模倣するばかりじゃなく、自らの若年期の作品の模倣も行っている。自己模倣を。だからつながる、と東博。

左は、国宝 ≪普賢菩薩像≫。平安時代。右は、国宝 ≪普賢菩薩騎象像≫。平安時代。
「祈りをつなぐ」ってことらしい。

左は、国宝 ≪風俗図屏風(彦根屏風)≫。右は、菱川師宣の≪見返り美人図≫。共に江戸時代、17世紀の作。
強引につなぐ、結びつける。

俵屋宗達の≪扇面散(ちらし)屏風≫(江戸時代、17世紀)は、「平治物語絵巻」や「西行物語絵巻」などの古典と強引に。
いや、日本美術の名作をこれでもかと別作品とつなげていく。
岸田劉生の麗子像のひとつ≪野童女≫は、中国、元時代、14世紀の伝顔輝の≪寒山拾得図≫をヒントにしているとか、やはり、岸田劉生の≪道路と土手と塀(切通之写生)≫は、葛飾北斎の≪くだんうしがふち≫とその構図がそっくりだとか。
模倣というか何というか、先達の模倣、真似をして幾世代もつながってきたということは確かに事実。ビッグネームはビッグネームなりにつながっているんだ。


音声ガイドは壇蜜であった。
しっとりとした語り口で、とてもよかった。


昨日、北京へ飛んだ安倍晋三、好待遇を受けている。
李克強、さらに習近平、と会談はもとより昼食会、夕食会、昼食会と腹をこわすんじゃないかと思われるほどの料理攻めにあっている模様。4年前、顔面の筋肉をピクとも動かさず仏頂面で安倍晋三と対面していた習近平の様変わりが見てとれる。安倍晋三も、「競争から協調へ」なんて言っている。
日中の融和、そのすべてはトランプにある。
米中貿易戦争は終わりが見えない。双方、突っ張りあっている。日本もいつ何時、トランプから理不尽な要求を突きつけられてもおかしくはない。
じゃあ、その二国が手を組もうってことになっても不思議ではないよ。
私の頭だとこういうことだな。