アラビアの道 サウジアラビア王国の至宝展(続き×3)。

今日のアルジャジーラ、”日本のジャーナリスト・安田純平は国へ帰った”という柱で、安田純平に関することをその発言も含め、日本の新聞で報じられているのに近く記している。3年余のシリアでの拘束からの帰還、なおかつカタールが一枚噛んでいる事案である。アルジャジーラ、今日の動きも追っている。
が、トップは、”カショギの殺害について、サウジの検察が計画的であったとした”、との記事。
トルコへ派遣されたCIAの長官が、カショギ殺害の音声記録を聴いた、とも報じられている。サウジ、もう隠しきれない。徐々に徐々に追いつめられていくんじゃないか。トランプにとっても、庇いきれなくなるに違いない。トランプ、自らが生き残るために。


「アラビアの道 サウジアラビア王国の至宝展」に戻る。いや、とても勉強になる展覧会であったので。
後期高齢者、70代後半も半ばは過ぎ、もうそろそろでもおかしくないな、と思っているのに今さら勉強などしてどうなるか、ということも考えるのであるが、勉強になることはやはり面白い。駆け足で進む。サウジアラビア王国という国のことごとを。

文字だ。
文明に文字は不可欠である。

古代南アラビア文字による墓碑。
カルヤト・アルファーウ、前5〜1世紀。石灰岩。

ハサーン文字による墓碑。サージュ、前3〜1世紀頃・石灰岩。

なるほど。

クーファからマッカへの里程標。グルブ・ズバイダ、8世紀後半。花崗岩または玄武岩。

アラビアの文字。

アルアラーの息子アブドゥルジャバールの娘アルガーリヤの墓碑。マッカ、9世紀。玄武岩。

法学者ジャマールディーン・アブー・アブドゥラー・ムハンマドの墓碑。1196年。玄武岩。

二つの聖都・マッカ(メッカ)とマディーナ(メディーナ)。

メッカ。

全世界のムスリム、これを願う。

カァバ神殿の扉。
オスマン時代、1635年または1636年。木芯、打出し銀、鍍金。

この扉、つい先般まで使われていたそうだ。
何百万、何千万、何億のムスリムの思いを受けとめていたのであろう。

カァバ神殿を覆う布・キスワ。1984年、絹、金糸、銀糸。
王国への道。

クルアーン(コーラン)。
マッカ、オスマン朝時代、16〜17世紀。紙、インク、金。

近づく。
コーラン、さまざまな装飾をほどこしている。日本の金泥を多用した経典にも似ている。

上の方が少し切れているが、「王国への道」である。

衣装があったり、刀があったり、鉄砲があったり、というサウジアラビア王国の物語。
そのそもそもは・・・

この男である。アブドゥルアジーズ王。
そもそもサウジアラビアの正式な国名は「サウド家によるアラビアの王国」というものである。サウド家の国なんだ。その礎を築いたのがこの男、アブドゥルアジーズ国王である。
正式な名称は、アブドゥルアジーズ・イブン・サウド。
1902年、アブドゥルアジーズ、わずか数十の兵を率いてリヤドを攻略する。
サウド家の王朝を立ち上げる。
サウジの現国王はこのアブドゥルアジーズ・イブン・サウド国王の4、50人いる息子の中の25番目の男子である。
そして、今、権勢を誇っているのは、現国王の7番目の男子であるムハンマド皇太子。

国王の衣装。

短剣。

サウジアラビア国旗。
サウジ、どう進めばいい。