原爆投下(続き×4)。

一昨夜、NHKBS1で「”悪魔の兵器”はこうして誕生した」というドキュメンタリーが流された。
1週間ほど前の「原爆投下 知られざる作戦を追う」は、政及び軍からの原爆開発及び投下を追ったものであるが、一昨夜の番組は原爆開発、現場の研究者たちから原爆投下を追ったものである。
マンハッタン計画、その全体の責任者は、軍人であるレスリー・グローブスである。が、実際に原爆を開発する現場の中心人物はロバート・オッペンハイマーであった。
アメリカの原爆開発、亡命ユダヤ人科学者であるレオ・シラードのルーズベルトへの1940年少し前の進言によって始まっている。ドイツが開発する前に、というものであった。
マンハッタン計画自体は、1942年ごろからの模様である。ドイツに先んじて、というものである。しかしこの頃、ドイツは原爆開発を断念していたらしい。米英に加えソ連とも戦陣を広げていたドイツ、、原爆開発の余力がなかった、ということのようだ。
が、アメリカは原爆開発に邁進した。マンハッタン計画で。
原爆開発の目鼻がついた1945年5月、政軍学のリーダーで「暫定委員会」が作られた。

「暫定委員会」の主要メンバーはこういう人たち。
右端の人物は、原爆開発研究部門のリーダーであるロバート・オッペンハイマー。
その左上は、国防研究委員会議長であるジェームズ・コナント、ハーバードの学長でもある。その下は、科学研究開発局長官であるヴァネヴァー・ブッシュ。当時のアメリカ科学界の重鎮。その左上は、ジェームズ・バーンズ国務長官、その下は、スティムソン陸軍長官。そしてその左は、マンハッタン計画の責任者であるレスリー・グローブスである。
中央に小さく見えているのは、大統領のトルーマンである。

特にこの二人は看過することができない。
ヴァネヴァー・ブッシュ(左)とロバート・オッペンハイマー(右)の二人。

後年、ヴァネヴァー・ブッシュ、こう語っている。

大統領も我々研究者の言に従っていたんだ、と。

オッペンハイマーもこう語っている。

その結果。

こうも。

広島への原爆投下後、オッペンハイマーはマンハッタン計画の責任者であるレスリー・グローブスと電話で話している。
グローブスがこう言うのに対し・・・

現場のリーダーであるオッペンハイマー、上司であるグローブスにこう語っている。
何という言葉だ。

トルーマンはこう語る。

ロバート・オッペンハイマー、こう語り・・・

こう語り・・・
これに続けて、
世界はその存在を知り、最終的には人々と国と文化間の関係に革命的な変化が起きていくだろう、とこう語る。
んっ、何やらややこしいが、これヤバイ考えなんじゃないか、と思う。

サブタイトルは、「〜原爆 科学者たちの心の闇〜」。
科学者たち、心の闇ってあるのかな。
いつの時代でも科学者と言われる人たち、まあ頭はそこそこ良いのであろうが、それがどうしたってことが多いもの、ね。


ところで、日本でも原爆の開発研究は行われていた。
保阪正康著『日本の原爆 その開発と挫折の道程』(2012年 新潮社刊)でその詳細を知ることができる。
陸軍側と海軍側で研究が進められていたようだ。
陸軍の原爆製造計画は、「二号研究」。理研の仁科芳雄」をトップとするグループ。海軍側は、京大の荒勝文策研究室を核とする「F号研究」。
共に成果は出なかった。
「二号研究」で2000万円、「F研究」で500万円、アメリカのマンハッタン計画のの研究費20億ドルに較べるにあまりにも少ない額。この彼我の経済力の差、はかりなく大きかった。