原爆投下(続き×3)。

<アメリカ大統領ハリー・トルーマンと国務長官ジェームズ・バーンズの二人は、原爆の威力を実証するために手持ちの二発の原爆を日本の二つの都市に投下し終えるまで日本を降伏させなかった>。鳥居民著『原爆を投下するまで日本を降伏させるな トルーマンとバーンズの陰謀』(2005年 草思社刊)はその巻頭、こう書きだされる。
確かにトルーマンはルーズベルトの急逝により、1945年4月に原爆のこともマンハッタン計画のことも何も知らずに大統領となった。マンハッタン計画の責任者・グローブスに転がされていた面はある。広島と長崎への原爆投下がもたらした結果に驚き、ある種の責任を感じていたのは事実であろう。
トルーマンはそこから、「原爆投下は100万人の命を救うためであった」、という物語を紡ぎだしていく。「だから、原爆投下は正しい判断であった」、というアメリカ国民への物語を。多くのアメリカ人は、今でもそうであると思っている人が多い。
どうも、今でも。
NHKの広島局が制作したドキュメンタリーというかドキュメントを再構成した先日の物語、それはそれである。しかし、トルーマン、グローブスの意のままになっていたワケじゃない。トルーマンもワルなんだ。
<トルーマンが大統領となってから、彼の唯一の相談相手となったのはジェームズ・バーンズである>(鳥居民の前掲書)。
<トルーマンにとって、7月15日、8月8日という日付はどういう意味を持っているのか・・・・・>。<トルーマンはホプキンズをモスクワに派遣して、スターリンから満州侵攻は8月8日になると聞きださせた。トルーマンがその電報を読み、・・・・・、バーンズと会心の笑みを交わした・・・・・>(前掲書)。
7月15日はアラモゴードでの世界初の原爆実験の日である。そして、8月8日はソ連の対日宣戦布告、満州への侵攻日である。
トルーマン、ソ連の対日参戦による日本の降伏を恐れていた。それ以前に2発の原爆を日本へ投下したかった。さらにそれ以前に、原爆を投下する前での日本の降伏は避けたかった。
日本は国体護持、天皇制維持の一点さえあれば降伏を受け入れる状況にあったにも関わらずである。
トルーマン、ワルである。「原爆を日本に落とさなければ、100万人の命が失われた」、という作り話をアメリカ中にまき散らして。


今日先ほどNHKEテレで「アメリカと被爆者 赤い背中が残したもの」、というドキュメンタリーが流された。
アメリカ人女性、スーザン・サザードの著『NAGASAKI Life After Nuclear War』を追ったもの。
「赤い背中」とは、NHK広島局の映像にも出てきた背中一面真っ赤に爛れた背中(昨日の「目を背けてはいけない」とした写真)の男性である。谷口稜嘩さんという。谷口さん、生き延びたその一生を核廃絶のために捧げる。
スーザン・サザードというインテレクチュアルなアメリカ女性がいることも驚きであるが、それがアメリカの底力とも感じる。
それはそれとし、スーザン・サザードが教えた学生を連れ国立アメリカ空軍博物館へ行くシーンがある。
長崎へ原爆を落としたB29爆撃機・ボックスカーが展示されている。
そこで博物館の説明員、こう語る。
「最初の原爆は広島へ落とされた。2発目の原爆はこのボックスカーによって長崎へ落とされた。1発目より2発目の方が重要なんだ。何故なら」、と語り・・・
「この長崎へ原爆を落としたからこそ、200万から250万人のアメリカ人の命が救われた」、と語る。
100万人でも大袈裟なのに200万人とか250万人とかの命、と言っている。
どうも善良なるごく普通のアメリカ人、皆さん信じているようだ。困ったものである。