パラリンピック(4) 挑戦、挑戦。

成田3兄弟という名を知ったのは、何年も前ではなかったか。いずれかのオリンピックの時だったのかもしれない。
成田童夢の「童夢」も今井メロの「メロ」もとてもユニーク。一番下の男の子の名は成田緑夢、「グリム」とくる。子供にこういう名をつける親はよっぽどの男だな、と思っていた。そのような熱血スポーツマンらしい。
末っ子の成田緑夢、ピョンチャンのパラリンピックで金と銅、メダルを二つもとった。

NHK、夜10時にパラリンピックタイムとしてその日の競技の模様を流していた。


2月16日のNHKパラリンピックタイム。
この日、成田緑夢、スノーボード男子バンクドスラローム(下肢障害)で優勝した。それ以前12日のスノーボードクロスでの銅メダルに次いで。
成田緑夢、上の兄貴や姉貴と同じようにオリンピックを目指していた。
しかし、2013年、トランポリンの練習中に着地に失敗左足のヒザから下が麻痺、動かなくなる。
しかし、パラリンピックに出てくるような選手はみな強い。成田緑夢も懸命のリハビリを続け、パラリンピックを目指す。
挑戦、挑戦である。

スノボーのバンクドスラロームという競技、今回のピョンチャンパラリンピックから正式競技となったそうである。
3回滑り、その最速タイムを競う。
成田緑夢の3回目。

オリンピックにしろパラリンピックにしろ、それに出るような選手はみな凄い。さまざまな競技に対応できる運動神経を持っている。

夏のパラリンピックのメダリスト・山本篤、ピョンチャンのパラリンピックにも出ていた。スノーボーダーとして。結果は伴なわなかったが、その対応力は凄いものがある。

オリンピックを目指していた成田緑夢、事故で左足麻痺となるとパラリンピックを目指す。
挑戦、挑戦を続けるんだ。
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そして、金メダルをとる。
挑戦に挑戦を重ねた結果と言える。
常に、いつでも挑戦を繰りかえす。その結果である。
今、横に流れるテレビでは、NHKの長尾香里がイギリスの電気機器メーカー・ダイソンの創業者にインタビューしている映像が流れている。
ダイソンの創業者であるジェームズ・ダイソン、幾つかあげた言葉の一番上はこの言葉であった。
”Never give up”。
成田緑夢もまさにそう。今後は、夏のパラリンピックを目指すそうだ。
やってくれ。


今日、北京でも平壌でも映像が流されたが、その映像、今の世界時間の半分を切り取ったようなもの。特に、ピョンチャンが流した40分に亘るものは。
金正恩、たった一晩でメディアジャックしている。


貴乃花はいったいどうした。
完全に白旗をあげたようだ。通算5階級降格で、末端の平年寄りとなったというのに。


天皇皇后両陛下、与那国島を訪ねられ、空手の演武もご覧になり、今日、帰京された。
退位前の行事は、すべて成し遂げれれたということか。
そうであろう。
今、改めて思う。
天皇皇后両陛下の思い、とてもありがたく、感謝の念、幾重にも。