湖北・長浜逍遥(14) 高月。

1時前駅へ戻る。昼飯を食おう。しかし、時刻表を見ると、高月への電車は13時11分発。それを逃すと次は1時間先。昼飯は高月で食おう。長浜から高月までは3駅10分だし。
高月に着いたら、駅の周りさしたるものは何もない。そば屋が1軒だけあった。「十割蕎麦」と書いてある。
私は蕎麦食いではない。十割蕎麦か。他に食堂がないのだから、そば屋があっただけでも良しとしなければならない。
何と言うものであったか忘れたが、温かい蕎麦を頼んだ。

少し時間がかかって、こういうものが出てきた。
店の親仁さん、蕎麦について、また食べ方について細々と説明をしてくれる。
まずは蕎麦だけを食う。次に箸の先に少しだけ岩塩をつけて、それでそばを挟み食う。その次ぎは薬味を入れないつゆに蕎麦をつけて食う。最後に薬味を入れたつゆに蕎麦をつけて食う。
薬味を入れたつゆで食うのが一番美味い、そんなこと当たり前じゃないか、なんて言うのは通じゃないんだな、きっと。
十割蕎麦の文字を見た時から、そういう「や」な予感がしていた。
なお、左にあるお皿に小さな盃が乗っているものは、そう、酒である。確か、「ちょっと一杯」とかという名だったような気がする。
よくラーメン屋で「ちょっと一杯」といってグラスビールを出しているが、日本酒の「ちょっと一杯」は初めてであった。お猪口も選べるし、酒も選べる。私はシンプルなこのお猪口を選び、酒は「北国街道」にした。

こういう紙片が置いてあった。
店の親仁さん、蕎麦の蘊蓄ばかりじゃなく観音さまのことごとも話してくれる。私以外他に客がいないのだから。危うく長居をしてしまうところであった。
向源寺(渡岸寺観音堂)の十一面観音を見にいかなきゃならない。

<長浜をすぎると、急に静かになり、車で15分ぐらい行った所に、高月という駅がある。そこから東へ少し入った村の中に、貞観時代の十一面観音で有名な渡岸寺があって、土地の人々はドウガンジ、もしくはドガンジと呼んでいる。・・・・・、近江で一番美しい仏像が、こんなささやかな寺にかくれているのは、湖北の性格をしめすものとして興味がある>(白洲正子著『かくれ里』 1971年 新潮社刊)。 
白洲正子の『かくれ里』、その前々年から「藝術新潮」に連載していたものをまとめたもの。ほぼ50年前の高月であり、渡岸寺である。

すぐに、この石柱がある。

向源寺(渡岸寺観音堂)。ドウガンジ。
「国宝 観世音」と刻された大きな石柱がある。

右手にはこの碑文。

山門を入る。

その境内、人気はない。

進む。

本堂。
ここから堂内へ入る。
向源寺(渡岸寺観音堂)、またドウガンジと言おうとドガンジと言おうと、立派な寺である。白洲正子が巡ったころとは、大分様変わりをしているのかもしれない。
白洲正子は、昭和50年(1975年)にやはり新潮社から上梓した『十一面観音巡礼』の中でも、こう記している。
<・・・・・、実は寺ではなく、ささやかなお堂の中に、村の人々が、貞観時代の美しい十一面観音をお守りしている。私がはじめて行った頃は。無住の寺で、・・・・・。茫々とした草原の中に、雑木林を背景にして、うらぶれたお堂が建っていたことを思い出す>、と。

今、十一面観音は、左に見えている収蔵庫に安置されている。

向源寺(渡岸寺観音堂)の国宝・十一面観音立像。
同寺のパンフを複写した。
白洲正子は、この十一面観音に会うために何度も何度も訪れている。その故もあろう、向源寺(渡岸寺)の十一面観音は全国区の十一面観音となった。素晴らしい、美しい、と。
確かにそうではある。が、私には、聖林寺の十一面観音や長谷寺の十一面観音、さらに室生寺の十一面観音の方により惹かれる。

ところが、この仏像に対する白洲正子の肩入れは尋常なものでない。
頭上の十一面について、考察を述べる。「私のような門外漢には」なんて言いながら。「門外漢」にも入らない我々はどうすりゃいいんだ。
それはそうと、十一面観音のの隣に大日如来坐像があった。これが凄かった。惹かれた。

門前にあった碑文をそのか所だけ。

すぐ近くの「高月 観音の里 歴史民俗資料館」へ。

こういうところ。

幾つもの観音さまが展示されているんだ。

同館のパンフを複写する。
「いも観音」の映像、上野の「びわ湖長浜KANNON HAUSU」で見たことがある。

神像か。

雨森芳洲肖像。
雨森芳洲は、高月出身の江戸時代中期の対馬藩に仕えた儒学者なんだ。朝鮮通信使の来日には、という役回りを務めたそうだ。朝鮮側との手紙のやりとりがある。それを読むと・・・
共に、とんでもないインテリである。

高月駅へ戻る。
7丁、700メートル強である。


関東大学ラグビー対抗戦の最終戦、早明戦があった。
早稲田、19対29で敗れた。
後半20分すぎの早稲田ゴール前、ぞくぞくとする攻防であった。
早稲田ゴール前5メートル、明治攻める。ゴール前3メートル、早稲田堪える。ゴール前1メートルとなり、50センチ、30センチとなった。フェーズ28、28回に及ぶ連続攻撃を明治は続けた。早稲田耐えるが明治に飛びこまれトライ。
後半30分すぎには早稲田が明治ゴール前に押しこんだ。明治のペナルティーに早稲田の選択はスクラム。
明治の重量フォワードにスクラム戦を挑む早稲田の選択に、身体が震える。
敗れたが。