湖北・長浜逍遥(11) 余呉。

時間を調べてあった石道寺側のバス停へ出、木之本の駅へ戻る。
ずいぶん昔、「田舎のバスはおんぼろ車、タイヤはつぎだらけ窓は・・・」という歌があったが、今は違う。田舎のバスはとても速い。便数が少ないだけで、スピードは速い。都会地では30分かかるところを半分の15分で行く。この夏前、遠州三山を巡った時もそうであったが、田舎のバスはとても速い。
JR木之本の次ぎの駅は余呉。4分ばかりで着く。
長浜へ来てから2日目となるが琵琶湖は見ていない。が、「鏡湖」と言われる余呉湖を見てみよう。余呉湖は駅からさほど離れていないし。時は夕刻、頃もよし。

4時半少し前であったであろうか。余呉の駅を降り、余呉湖の方へと歩く。

余呉湖が見えてきた。

このあぜ道あたりで湖の方へ入っていこう。

「つり禁止」という標識がある。不心得者が来るんだ。
私は、右の方へ歩く。

すぐに余呉湖が現れる。

向こうは余呉の集落か。
秋の日、暮れなずむ余呉湖である。
この後少し、白洲正子著『かくれ里』(昭和46年 新潮社刊)から白洲正子の記述を引く。

<木之本から北へ行くと、左の方に余呉の湖が見えて来るが、この湖も・・・>。

<昔、ここの入江に8人の天女が白鳥として現れ、羽衣をぬいで泳いでいた。そこへ来合わせた漁夫が、・・・>。

<白山をめぐる羽衣伝説の一つであるが、緑の山にかこまれて、静かに眠る余呉の湖は、いかにもそういうメルヘンを誘うにふさわしい和やかな風景である>、、と白洲正子は記す。
余呉湖、まさにそのような湖面であった。

5時すぎ、戻る。
このような道を戻る。

柿が生っている。
湖北の地、あちこちで柿を見かけた。余呉でも。

長浜から木之本へ来て、さらに余呉へ。
JR北陸本線鈍行で10数分の距離なんだ。
長浜へ戻り、夕刻の居酒屋で少し飲み食いをし、ホテルへ戻る。
長浜2日目、これで終わり。
翌日は竹生島と高月へ行く。