8月15日。

また、8月15日がきた。
第二次世界大戦が日本の降伏により終わってから72年。
12時前、テレビの前へ。武道館での全国戦没者追悼式を見る。常の年と同じ。
今上天皇、退位の意向を表明されてから1年余。この式典へ両陛下が列席されるのも、今年と来年のみではなかろうか。畏れ多くも感慨深い。

12時、黙禱。
私も暫し目を瞑り手を合わす。

今上天皇は、ご父君・昭和天皇がやり残されたことのすべてを一身に引き受けられておられる。法の定めギリギリのところで平和を志向されている。私たち平成の国民は、凄い天皇を持ったと言えるであろう。
今上天皇、「おことば」を述べられる。
内閣総理大臣・安倍晋三が決して口にしない「ここに過去を顧み、深い反省とともに、・・・・・」、とのお言葉を今年も述べられる。

お言葉を述べられた後の両陛下、首を垂れられている時間が例年になく長かった、と感じたのは私だけであったろうか。
今上天皇、皇后、両陛下のお心を感じた。


1週間ほど前、8月8日の夜中、NHKBS1で流された「BS世界ドキュ選」の映像から・・・。







<昭和20年(1945)8月15日を、皇太子明仁親王殿下(のちの平成の天皇。以下皇太子と記述)は奥日光の南間ホテルで級友66人とともに迎えた。・・・・・。このとき皇太子は11歳(満年齢)で、学習院初等科の6年生であった>。(保坂正康著『明仁天皇と裕仁天皇』 2009年 講談社刊)
その後、保坂正康はこうも記している。
<ただし、皇太子はこの放送を他の学生たちとともに聞いたのではないとの証言もある。このホテルの二階には和室の御座所があり、そこで東宮大夫や6人の侍従、それに傳育官などとともに玉音放送を聞いたというのだ。・・・・・。このときのようすについては、・・・・・ラジオの前にきちんと正座して聞いておられた殿下は、急に目を閉じ、頭を深く垂れ身動きもせず・・・・・、しっかり握りしめられた両手はかすかにふるえ、目がしらには涙があふれ・・・・・>、と。
そしてこの日、皇太子は、「8月15日 新日本の建設」というタイトルの作文を書いている。
<ここには、皇太子としてのこれからの時代への心構えが切々と綴られている>、と保坂正康は記しているが、私から見れば、とても11歳の少年が書いたものとは思えぬような心の覚悟を感じる一文である。
言葉を変えれば、ある高みにある立場にあればこそ紡ぎだせる言葉であるとも言える。しかし、時を経た現在の今上天皇のお言葉とは異なる色合いを感じる。
その時から72年が経っている。当然である。
保坂正康は同書の中で、<私は、現在の日本にあってもっとも純粋で、そして崇高さを兼ねた平和勢力は明仁天皇である、との理解をもっている>、と記している。
保坂のいう通り、まったくその通りである。
私は、ずっとそう思っている。