野火。

極彩色の画面である。露悪的とも言えるほど。しかし、大岡昇平の『野火』を映画化するには、これでもかの極彩色が必要である、と監督、脚本、製作ばかりか主演も務めた塚本晋也は考えた。
戦争の現実とはこのようなものだ、と言うことを伝えるため。

第二次世界大戦末期のフィリピン・レイテ島。
結核を患いわずかな芋を持たされ部隊を追われた田村一等兵、野戦病院と部隊をたらい回しされ、レイテ島の原野を彷徨う。

塚本晋也、こう記している。
「・・・・・。そして、今、実際に戦争の痛みを知る人がいよいよ少なくなるにつれ、また戦争をしようとする動きが・・・・・」、と。

塚本晋也、戦争への危機感から大岡昇平の『野火』を映像化した。

現実の戦場とは、どういうものか。戦場の恐怖を描いた。そのためには極彩色にする必要があった。
戦場とは、敵兵からの銃撃を受けるばかりではない。現地の住民も殺す。友軍、日本の敗残兵も殺す。
第二次世界大戦での日本兵、その死の過半は餓死と言われる。大戦末期、米軍に追われレイテ島を逃げ惑う日本兵、餓えの極限にある。田村一等兵、餓えにさいなまれつつレイテ島の密林を逃げていると、臀部の肉のない死体があちこちにあるのに気づく。
若い日本兵・永松がくれた「猿の肉」を自らも食う。

カニバリズムの問題、避けては通れない。
大岡昇平の『野火』、主人公の田村一等兵は運よく生きのびる。
記憶は定かでない。が、日本に帰国して6年後にレイテ島の戦場のことを記しているようだ。『野火』の私は。

塚本晋也、戦争とはこういうものだ、戦場の現実はこうなんだ、ということを伝えるため、大岡昇平の『野火』を極彩色の映像とした。
これが戦争、戦場だ、と。