稀勢の涙で終わらせてはいけないであろう。

まさか、まさかの大逆転であった。
日本中が稀勢の里の大逆転劇にカタルシスを感じており、稀勢の里の涙にカタルシスを味わっている。
日本国民の多くが、「痛みに耐えてよく頑張った。感動した」、と貴乃花に賜杯を渡す時に絶叫した16年前の小泉純一郎状態になっている。
稀勢の里自身は、「今日は見えない力で勝たせてもらった」、と冷静に語っているのだが。

表彰式前、国歌斉唱の途中、稀勢の里の目からは涙があふれてきた。
同じように涙を流した日本国民も多くいるようだ。
しかし、今場所の稀勢の里の逆転優勝と稀勢の里の涙を、単なる感動物語としてはいけない。
それに至る過程で、日本の伝統文化である大相撲の何たるかが問われているのだから。単なるスポーツではない大相撲、勝てばいいってものではない。美しくもなければならないのだから。
それだから、今日の稀勢の涙で終わらせてはいけないだろう、と私は考えている。単なる感動物語で終わらせてはならない、と。

春場所初日、NHKの中入り後の中継はこの場面から始まった。
72代横綱・稀勢の里、お兄ちゃん・若乃花以来の日本人横綱。

中日、稀勢の里と弟弟子の高安だけが土つかずの勝ち越しを決める。

9日目、稀勢の里と琴奨菊との一番。

両者の対戦、60番を越える。

稀勢の里が勝った。が、琴奨菊の大関復帰の可能性はまだまだある、と思っていた。

12日目、この日琴奨菊は宝富士に敗れ5敗目を喫す。大関復帰のあとがなくなる。

高安も日馬富士に敗れ2敗となる。
日馬富士、鋭い立会いで高安を圧倒、素晴らしい相撲を取った。

13日目、稀勢の里と日馬富士の一番。
今場所の物語の序章が始まる。

日馬富士、前日の高安戦に引き続き素晴らしい相撲を取った。
稀勢の里を圧倒した。

土俵下へ落ちた稀勢の里、苦悶の表情を浮かべる。なかなか立ちあがれない。あの稀勢が痛がる。
日本中が凍りついた。

14日目、照ノ富士と琴奨菊の一番。
琴奨菊は大関復帰へあとがない。

立会い、照ノ富士、右へ飛んだ。変化した。
それはない。それはない。何たることをするんだ、照ノ富士。

琴奨菊の大関復帰は消えた。照ノ富士は1敗を守った。
しかし、それよりもである。
照ノ富士、大相撲をなめている。大相撲を分かっていない。大相撲、勝ちゃいいってものではない。美しくなければならない。日本の伝統文化なんだから、大相撲は。
角界の先輩である琴奨菊に対しても、礼を失っしている。なぜ琴奨菊の当たりを正面から受け止めないんだ。解説の尾車が言っていた。「照ノ富士、力がないわけではないのですから」、と。まさにその通りである。照ノ富士、大相撲の力士失格、と言ってもいい。
私は、大相撲のグローバル化はよりはかられてもいいのでは、と考えている。外国人枠もより広げるべきじゃないか、とも思っている。
しかし、照ノ富士の昨日の行いを見るとその考えも揺らいでくる。大相撲を日本文化のひとつとして理解していない力士を見ると。
「稀勢の涙で終わらせてはいけないであろう」、との今日のタイトル、そのような思いが根底にある。

今日、千秋楽の稀勢の里と照ノ富士の一番。
昨日の稀勢の里と鶴竜の一番を見たら、稀勢の里がまともに相撲が取れるかどうか分かる。無理だ。
稀勢、無理をして傷を悪化させないでくれ、というのが日本中の好角家の願いであった。

が、稀勢の里、本割で勝った。
動く右手で照ノ富士を突き落とした。優勝決定戦に持ちこんだ。

こうなりゃ日本中の好角家、16年前のあの「鬼の形相」を頭に思い浮かべたに違いない。
この16年前の貴乃花の顔貌、今場所10日目に流れたものである。

優勝決定戦、右腕の小手投げ一閃、稀勢、大逆転劇を完結させた。
日本中が沸いた。

表彰式前、君が代斉唱の途中で稀勢の里の目から涙があふれた。

先場所優勝時の涙は一滴、ひとしずくであった。
が、今場所の涙は次々と。
終盤の2日間、苦しかったんだ。

2場所連覇。
今一度白鵬が戻り、稀勢の里と競い合ってくれることを望むな。

稀勢で始まり稀勢で幕を下ろした春3月、大阪・浪速の場所であった。