瑛九1935ー1937 闇の中で「レアル」をさがす。

1911年に生まれた瑛九(杉田秀夫)は、1960年48歳で死ぬ。若死である。
2012年、東京国立近代美術館は、若い頃からの瑛九の友人・山田光春旧蔵の瑛九の作品と資料をまとめて収蔵する。

規模は小さいが、山田正亮展と並び近代美術館で1935年から1937年まで、デビュー前後の3年間の瑛九の軌跡が展示された。

瑛九、1936年にフォト・デッサン集『眠りの理由』で鮮烈なデビューを飾る。

瑛九、その後もさまざまな技法を駆使、独自の作品を追求する。
20代半ばの若い芸術家・瑛九、暗闇の中で「レアル」をさがす。

瑛九≪作品≫ 1937年。
コラージュ・紙。

瑛九≪作品≫ 1937年頃。
コラージュ・紙。
瑛九、戦前戦後の日本の前衛美術世界を突っ走った。
東京国立近代美術館の本展企画者によれば、細江英公、池田満寿夫、河原温といったアーティストたちに影響を与えている、という。皆さんエッジの利いた表現者ばかり。大本の瑛九のエッジが研ぎ澄まされていた証しであろう。

瑛九≪眠りの理由≫より 1936年。
ゼラチン・シルバー・プリント、フォト・デッサンだ。

瑛九≪眠りの理由≫より 1936年。
ゼラチン・シルバー・プリント、フォト・デッサン。
会場でたまたま行き会った木版画家の小澤潔がこう言った。
「瑛九はもっと評価されてしかるべき作家なんだが」、と。そうなのであろう。世界の河原温に影響を与えているのだから。