リオ五輪 親子鷹。

メダリストをすべて載せると言いながら、お前、忘れている選手が一人いるんじゃないか、と思われている方もおられるであろう。忘れているんじゃないんだ。メダルが途切れた時に、満を持して載せようと考えていたんだ。
いわば温存していた。

重量挙げというスポーツが好きである。
大学に入った時、一般教養に体育実習というものがあった。ウェート・トレーニングというものを取った。ウェート・リフティングではない。ウェート・トレーニングである。挙げる重さなどは問わない。
その半年前までは結核療養所に入っていた私、ヒョロっとした身体で、10キロか20キロぐらいのものを挙げていたのではないか。面白かった。
先生のことをよく覚えている。元ミスター日本、つまりボディービルの元チャンピオンでローマオリンピック重量挙げのライトヘビー級で入賞を果たした窪田登という先生。筋骨隆々、上半身のあらゆるところの筋肉を自在に動かせることができた。とても優しい先生であった。
代々木の体育館での重量挙げ、ウェート・リフティングの大会を見に行ったこともある。面白かった。
昨今と異なり、出てくる選手、パウダーを手ばかりか首筋にもなすりつけバーベルの後ろを右に行ったり左にいったり歩きまわる。重量級ともなると、その様子はまるで獰猛な熊を思わせる。パウダーを身体に塗りたくった熊のような男がバーベルを睨みながら右に左にと動く。とても面白い。
その時から、重量挙げという競技にはまった。

今、好きなアスリートは何人かいる。
三宅宏実もその一人である。
30歳を超えた三宅宏実、他の選手とは異なりしっとりとした美しさを醸し出している。

女子48キロ級、世界記録もオリンピック記録も中国選手か。

三宅宏実、スナッチの一回目の試技を失敗する。

三宅、二回目の試技も失敗、後がなくなる。

三回目の試技、同重量の81キロ、引きあげた。

立った。
スナッチ、成功した。

ジャーク(クリーン & ジャーク)は手堅く105キロから。
成功する。

重量挙げの監督であり実の父でもある三宅義行、教え子であり娘でもある三宅宏実を見守る。

107キロに上げて臨んだジャーク二回目の試技、失敗する。

監督であり父親でもある三宅義行、最後の試技へと三宅宏実を送りだす。
メキシコ五輪の銅メダリスト・三宅義行の後頭部、完全に禿げあがっている。時間が経ったんだ。
三宅義行、1964年の東京オリンピックにも出ている。その時には兄の三宅義信が金メダルを取った。
東京五輪のヘビー級重量挙げのことを覚えている。
当時のソ連の二人の選手が強かった。一人はインテリ風のウラソフという選手。そしてもう一人は荒々しいジャボチンスキーという選手。ジャボチンスキー、密林から出てきた熊のようであった。ジャボチンスキーが金、ウラソフが銀であった。
50年以上前のことである。が、好きなことは覚えているんだ。

三宅宏実、ジャーク三回目の試技107キロを差しあげた。

三宅宏実、銅メダル。
三宅宏実、タイとインドネシアの金銀メダリストに比べお姉さんっぽい。
ところで親子鷹である。
2020年の東京五輪まで続けるのか。三宅宏実本人は、結論を出していない。が、これで十分であろう。親子鷹を解消してもいいであろう。私は、そう思う。
三宅宏実には、幸せな第二の人生を歩んでもらいたい。