やまとめぐり(2) 今井町(続き)。

<町のなかに、寺が多い。浄土宗が一カ寺、法華が一カ寺だが、なんといっても戦国期に一向宗(門徒)の根拠地のひとつだっただけに、本願寺末寺の大きな寺が二カ寺ある。「いまでも、町の人の宗旨は門徒が多いでンな」と、軒下で孫のお守りをしている老婦人がいった>、と「大和・壺坂みち」の中で司馬遼太郎は記す。
大作家・シバリョウの記述をたびたび引用するのはナンであるが、シバリョウの記す言葉、とても解りやすい。

その本願寺末寺の大きな一向宗(門徒)の寺、つまり浄土真宗の寺・稱念寺。

今井兵部という名が出てくる。
この男が中世の環濠都市・今井を作ったんだ。
当然のことであるが、『和州軍記』なんて書は読んでいない。歴史の研究者以外、そんなものは読んでいない。で、シバリョウの記述から「兵部と申す一向坊主」を読み解く。
シバリョウ、こう記す。
<『和州軍記』を直訳すると、「・・・この兵部というのは器量者で、四町四方に堀をめぐらし、土手を築き、なかを町割りして、人をあつめ、家をつくらせた。大和一国の商人に声をかけて商売をさせ、あるいは牢人どもをあつめて兵力をつくった」と、ある。今井町の出発である>、と。
そうか。

稱念寺の本堂、改修工事に入っている。大掛かりなものである模様。

稱念寺本堂も重文。

こういうものがあった。
<人のためと書いて『偽』>の下に、<あじさいそろそろみごろです>と記されている。
寺の中へ入った。さほどのものではないが、あじさい、これからという状況であった。中年の女性がいた。寺の人らしい。「見せていただいております」、と言った。「どうぞどうぞ」、とその女人は応えた。

今井町の西側、左側にこのような建物が続く。

ここにも続いている。

こういうところも。

ここなど銃眼と見まがうほど。

ここまで。
いや、大きな建物なんだ。

重要文化財・今西家住宅。
今井町で最も大きな建物である。

その角。
道が交差する四つ筋、ややズレている。城下町と同じである。
今井町、商業都市であるとともに、軍事都市でもあった。

今西家の西側へ周る。

家の周り、堀、濠が囲んでいる。

このようなものもある。

今西家の周り、環濠がめぐる。
今西家、城郭と言ってもいい。
まさに、環濠都市・今井である。

この家も重文。
豊田家。

読みづらいが、豊田家云々。

重厚な豊田家の前を、郵便局のバイクが通りすぎた。
今井町、今を生きている。
で、あと一日、今井町を。