吉備の国アート巡り(31) 林原美術館。

備前岡山は、徳川期を通して大藩であった。しか〜し・・・
<印象は巨大ではあっても実体は明哲保身そのもので、すすんで火中にとびこむような姿を日本史に印したことは一度もない。幕末にも、うごかなかった>。こういう、岡山の人が聞いたら気を悪くするであろうことを言っている人がいる。
”幕末にも、動かなかった”でお解かりでありましょう。そう、司馬遼太郎であります。
<岡山藩はあくまでも一藩のからにこもった>、とも。いや、昨日も触れた文春文庫の『歴史を紀行する』の中の一節です。
<しかし、明治の学校制度がととのうや、ここにいわゆる岡山秀才が・・・・・>、とも記しているが、シバリョウは。
秀才かどうかは知らないが、この「吉備の国アート巡り」の中でも、倉敷の大原孫三郎と總一郎、ベネッセの福武總一郎が成したことについて触れた。林原美術館を作った林原一郎もやはり岡山のそういう男である。林原一郎、バイオ企業「林原」の創業者。

訪れた時の企画展は、「玉堂と文人画の世界」。
岡山で玉堂といえば浦上玉堂。川合玉堂ではない。

林原美術館、豪壮な長屋門。

お城に入る趣き。

こちらは。

天守とまでは言わないが、櫓に上るよう。

こういう石組みがあるし。

林原美術館の入館券。櫛と鍔。
林原美術館、林原一郎の個人コレクションと旧岡山藩主・池田家がひきついだ大名家の伝来品を展示している。
刀剣、武具、甲冑、絵画、墨跡、能装束、・・・、近世日本美術に特化した美術館である。
何でも今回の企画展、浦上家の子孫から寄贈された「浦上玉堂遺品類一式」を岡山県立美術館へ寄贈することになったことから企画されたものらしい。
ところで、浦上家であり、浦上玉堂である。
昨日のブログの一番最後の写真、県立博物館のチラシを見ていただきたい。
浦上宗景という名がある。
浦上宗景、浦上玉堂の祖先である。戦国期の梟雄・ワル・宇喜多直家の主家にあたる。
昨日、宇喜多直家について、<・・・・・小豪族にすぎなかったが、直家が・・・>と記した。その後を記す。
<直家が十八歳のとき国主の浦上氏につかえることによって運命がかわった。・・・・・宇喜多直家は美貌の少年であったため、男色をもって寵せられ、やがて重臣に列せられた。その後の・・・>、とシバリョウは記す。
稀代の梟雄・ワルといわれる宇喜多直家、その出発点はその美貌を利用した主君の男色のお相手だそう。
そして、そのお相手の主君は、年代から類推すれば、浦上宗景となる。岡山県立博物館の特別陳列の浦上宗景であり、浦上玉堂の祖である。
面白いもんだ。

私が訪れた折りのチラシ。

浦上玉堂の息子・春琴が描く≪玉堂寿像≫。

浦上玉堂筆≪夏晩水亭図≫。

浦上玉堂筆≪七言聯≫。

浦上玉堂筆≪二字「心静≫。

帰途、大きな長屋門の左上の方に岡山城・烏城の天守が見える。