吉備の国アート巡り(30) 岡山県立博物館。

夢二郷土美術館から蓬莱橋を渡り後楽園までは、徒歩数分。その日本三名園のひとつ後楽園の正門の真ん前に岡山県立博物館がある。

県立博物館というもの、いずこの県立博物館でもその展示は似たようなものである。概ね古代から近世の文化遺産を収集展示する謂わば歴史博物館。岡山県立博物館もその例に漏れない。

私が訪れた4月初めの特別展示は、「戦国武将の新出資料〜浦上宗景と宇喜多直家・秀家〜」。

県立博物館パンフ。
表紙の仏さまは、重文の聖観音菩薩立像。
ヨーロッパなどとは異なり日本の美術館、博物館の常であるが、岡山県立博物館でも館内の撮影は禁じられている。そういうこともあってか、展示物に関する説明書きのコピーがあちこちに置かれている。
古代の吉備国の巨大古墳から、法然や栄西といった岡山ゆかりの高僧たち、備前焼、そして鍛刀地としての岡山についても。

中世から近世にかけての備前、備中、美作の主な鍛刀地。

「明治の正宗」と呼ばれたという刀匠・逸見東洋(竹貫斎義隆)についてのコピー。ギリギリ読めるか。

逸見東洋(逸見竹貫斎 源義隆)による明治4年の作。

一か所だけ、”触っちゃいけないが、写真はいいですよ”ってところがあった。
ここ。

新しすぎる。精巧に作られてはいるが、レプリカだ。

オリジナルはこれ。パンフを複写。
岡山県立博物館所蔵の国宝 赤韋威鎧 兜 大袖付。平安時代末期のもの。
<この大鎧は源氏と平氏が覇権を争っていたころ、武将が実際に着用していたとみられるもの>、また、<赤韋威鎧は、鉄や革の小札(こざね)を茜染めの革で綴った大鎧のこと>、とも説明にある。

ところで、特別陳列の「戦国武将の・・・・・」は、面白くなかった。
書状とか詠草とかというものが多い。が、古人の筆跡を読む才などまるでない私、ただやり過ごす他なかった。
が、宇喜多直家の名がある。このチラシにも。
この「吉備の国・・・・・」の連載を始めてすぐのころであったろうか、司馬遼太郎の『街道をゆく』の先駆けとなった『歴史を紀行する』に触れた。その中の、「桃太郎の末裔たちの国 岡山」について。
そこに宇喜多直家についての、シバリョウの記述がある。
<私は、戦国期にこのあたりの成りあがり大名だった宇喜多氏に対し、ふるくから興味をもっている。宇喜多家を興したのは、梟雄といわれた直家である。はじめ宇喜多家は備前地方の小豪族にすぎなかったが、直家が・・・・・>、と続いていく。
戦国期、下剋上の時代である。きれいごとでは生き延びることはできなかったであろう。
しかし、それにしてもである。宇喜多直家、ワルに過ぎる。密殺、謀殺、嫁の父親をも酒に酔わせてバッサリ、とまるで金正恩のような男。宇喜多直家、それで成りあがる。
シバリョウが、<ふるくから興味をもっている>とし、<梟雄といわれた直家>、と記しているのが面白い。ワルってヤツほど、ヘンな魅力があることがあるものね。
それはともかく、岡山県にとっては宇喜多直家は郷土のお殿様である。竹久夢二が大正浪漫の郷土の誇りだとすれば、宇喜多直家は戦国時代の郷土のやはり誇りなんだな。司馬遼太郎が記しているようなことは、岡山県立博物館のどこにもなかった。
それはそれでいいんじゃないかい。酸いも甘いも、良いも悪いも、それが郷土ってことなんだから。