荻野美穂子展。

この人の絵を初めて見た時、こう感じた。
不思議な絵だな、面白いな、独自なものがあるな、凄いな、と。
クレパスで描いている。
日常見ている絵のほとんどは、その顔料は、油でありアクリルであり水彩であり、日本画である。クレパス画というものはほとんど見ていない、ということがあるのかもしれない。

ひと月少し前のgallery i。銀座2丁目、昭和通り寄り。
荻野美穂子展。

古い知り合いらしい人が来ていた。

黒い帽子に長い髪のこの女性が、作家・荻野美穂子。

すっきりとした展示。
大きな作品は・・・

≪夢みる・・・≫。
どういう夢か。
この黒っぽい絵から推し量ると、明るい夢ではないんじゃないかな。怖い夢ではないかなー。逃げても逃げても悪いヤツから追いかけられている、というような。

その手前の作品。

≪G−ろ、G−ろ≫。

≪Gーーーと≫。

≪D−いと≫。
そのタイトルに、”G”とか”D”とかアルファベットが用いられている。不思議と言えば不思議。正直言って、このようなタイトル、私の理解を超えている。残念ながら、よく解らない。
クレパス画は、凄まじい存在感を持って迫ってくるのだが。

荻野美穂子、「ひとつだけ明るい作品を並べました」、という作品。
≪Y−わい≫。
荻野美穂子、アルファベットに特別な思いを持っている模様。
荻野美穂子、メールをしない。意思の疎通は、郵送物のみ。彼女から届いた封書やハガキには、このようなサインが記されている。

これ、”Ginoko”であろう。”荻野”を”Gino”、とした模様。また、”k”が長く伸びている。これにも故あるに違いない。

ここ。
左の作品は・・・

これ。
≪Iーしてます≫。
デュビュッフェを思う。
その隣は・・・

≪Oーーー≫。
ここに極まる。
フォートリエを想う。
凄い作品である。
20世紀の巨人にタイマンを張っている。立ち向かっている。



今日、今上天皇、82歳の誕生日を迎えられた。
戦後70年である。一般参賀に先がけての記者会見で、こう語られる。
「今年は、様々な面で、先の戦争のことを考えて過ごした一年だったような気がします」、と。
今上天皇のこの言葉、畏れ多きことながら、先日死んだ野坂昭如の思いと相通じる。今上天皇と野坂昭如、同世代である。
黒メガネをかけ、シャツのボタンをひとつどころか3つ4つ外した無頼派の男と、謹厳実直な今上天皇を同じ場で論じるのは如何か、とは思う。しかし、戦争はいけない、子供たちを餓えさせてはいけない、という思いは今上天皇と野坂昭如、まったく同じ立場に立つ。
今上天皇、今年も激戦の地・パラオに出向かれた。
私は時折、こう思う。
今上天皇、父君である先帝・昭和天皇がなされなかった贖罪の旅に出向かれているのではないか、と。