黄金のファラオと大ピラミッド展。

「ホンコンに長いよ」の中国文明も長いが、ナイル沿いのエジプト文明もハンパじゃなく長い。どこからかってことにもよるが、まあ、5〜6000年と言ってもいい。

地下鉄の六本木駅から地上に出、六本木ヒルズの方へ歩く。
ヒルズでの催し物のポスターが貼られた斜めの柱が続く。

国立カイロ博物館所蔵の「黄金のファラオと大ピラミッド展」。
吉村作治がカイロの国立博物館から選んだ、ということになっている。

その惹句・決め言葉は、<エジプトの至宝 「黄金のマスク」 ついに六本木へ!!>。

森アーツセンターギャラリー、森タワー森美術館の1階下の52階。やや軽めの展覧、というイメージがある。乱暴な譬えをすれば、53階の森美術館は芥川賞で、52階の森アーツセンターギャラリーは直木賞。
それはともかく、ギャラリー入口にかかる大きなポスターの写真がいい。
ギザのカフラー王の大ピラミッドとスフィンクス。カフラー王、今から4500〜600年ほど前の古王国時代の人物である。ハンパじゃなく古い。

紀元前13〜14世紀、新王国時代第18王朝末のピラミディオン。
エジプトのファラオは大きなピラミッドを造った。王ではないが、貴族階級や裕福な人はこういう小さなものを造ったそうだ。ピラミディオン、と言うそうだ。

ピラミッド時代の女性たちははおしゃれであったようだ。それぞれの身分に応じて、ということであるが。
これは≪クヌムト王女の襟飾り≫(部分)。
紀元前19〜20世紀、中王国時代第12王朝のもの。4000年ぐらい前である。先端の鋭い飾りは、ハヤブサである。

カイロの国立博物館から借り出したエジプトの宝、百数十点はあった。
その目玉はこれ。
≪アメンエムオベト王の黄金のマスク≫。アメンエムオベト、紀元前10世紀、第3中間期第21王朝の王。
眉と目、アイラインの部分はガラス象嵌されている。しかし、そうは言っても、金の板を打ち出したものである。「黄金のマスク」とは言っても。「黄金のマスク」には違いないのだが。
今ひとつ、消化不良。
「黄金のマスク」と言えば、やはり、ツタンカーメンの「黄金のマスク」であろう。
ツタンカーメンの「黄金のマスク」、50年ほど前には日本にも来たことがある。が、今はエジプト国外への持ち出しは禁じられている。当然である。「見たい人は、エジプトへ来い」でいい。

エジプト考古学博物館(国立カイロ博物館の正式名称である)の日本語版の図録が出てきた。
96年4月28日、との書きこみがある。20年ほど前のこの日にカイロのエジプト考古学博物館へ行っているんだ。そこでツタンカーメンの「黄金のマスク」と対面している。
その表紙を複写する。
当然、表紙の写真は、ツタンカーメンの「黄金のマスク」。
ツタンカーメン、古代エジプト第18王朝のファラオ。紀元前14世紀であるから、今からでは3400年ほど前になる。

同館の英語版の図録には、ツタンカーメンの「黄金のマスク」を正面から撮った写真が掲載されている。
これぞ「黄金のマスク」。その豪華さ、絢爛さ、譬えようもない。
その美、よくぞ残った。ワケがある。
その後、ナイル中流ルクソールの対岸、テーベの王家の谷にあるツタンカーメンの墳墓へも行った。盗掘をまぬがれた稀有な墳墓である。それだからこそ、その黄金の輝き、弥増す。