哲学するモノクローム。

山宣の日本表現派展の会場で杉浦に会った。同じ都美術館の版画展に小澤が来ている、という。小澤に電話し、入口で会う。

日本版画協会の第83回版画展。
版画展、初めてであるが、長い歴史を持つ大がかりな展覧会。

この後ろ姿の二人、2、3日前に見た覚えがあるぞ、という人もいるだろう。そう、後藤亮子展の時にも出てきた古い仲間。左は、版画展の入選者・小澤潔。右は、毎日絵描きの杉浦良允。
それにしても展示品は多い。こういう部屋が幾つも続く。

「はんが甲子園」というコーナーもある。
15回目となる今年の「はんが甲子園(全国高等学校版画選手権大会)」は、全国各地の予選を勝ち抜いた14校が佐渡に集まり本戦が催されたそうだ。

椿一朗≪There is a hint of crises in the air≫。
木版である。
木版であるが、平面ではない。半立体である。

ガラス面に映りこみがあるが、木版で刷ったものを切りはなし、それを貼りつけている。
半立体のこの作品、これも版画。

鶴田功生≪Plurality 9×7≫。
カラスアゲハの標本か、と思った。でも、木版画なんだ。
木版で刷ったものを切りぬき、それをまた、つけ加えている。で、9×7、63のカラスアゲハの標本ができた。
幼稚園児が喜びそう。
なお、版画展では、版画のジャンルを木版、銅版、平版、孔版、デジタルプリント、その他、に分けている。小澤潔によれば、中で多いのは、木版と銅板であるそうだ。

どんどん進んでいく。
と、「あの隅のがそう」、と小澤が言う。

確かに小澤らしい作品がある。

小澤潔≪Y氏の食卓≫。
90センチ×90センチ。木版画。水性木版画である。
小澤潔、昨年夏の仲間たちとのグループ展に、≪cube≫という作品を出品した。白と黒、モノクロームの深い趣きを持つ作品。その折り、小澤はこう言っている。1年少し前のブログをコピーする。
<小澤潔、こう言う。
「使った色は、胡粉と水性の黒のみだ」、と言いこう続ける。「同じ版を何十回も重ねて刷った」、と。
思い描くマチエールが現われるまで、同じ版を何十回も重ねて刷ってたんだ。
そんなことがあるんだ。驚いた。>。
訊くのを忘れたが、今回の作品も胡粉と水性の黒のみを使った作品に違いない。
一昨日、高橋からきたメールにこうある。
<昨夜初めて小澤氏の版画展入選を知り行ってきました。>
<形や技術を追う作品が多い中で、
小澤氏の作品の前でやっと人に会えた気持ちになりました。
帰りにもう一度戻って、お顔拝見してきました。>、と。
”お顔”って、小澤の作品の”Y氏”の顔なのであろう。高橋、”やっと人に会えた”とも言っている。版画展の多くの作品には、”Y氏”のような人はいなかったんだ。高橋にとっては。
さらに、小澤の作品とは関係ないことながら、高橋、こう記している。高橋らしくて面白いので、これもコピーする。
<暖かいかい気持ちになって、
動物園下で桜の大木に潰されかけている小屋店に1年ぶり。
お店のお母さんも妹さんも元気で、
日本酒3本、焼き鳥とラーメンでほろ酔い気分。
一年後の再会を約して帰ってきました。>。
<今4時18分
会社で酔ぱらってます。>、と。
高橋、自らの会社で仕事をしているまだ現役。小澤の作品を観て、一杯やって、さてそれからひと仕事、となるようだ。

作品を注視する。
白と黒。胡粉と黒。
<胡粉は白色顔料のひとつ。イタボガキなどの貝殻を焼いて粉末にしてつくる。この顔料は中央アジアから中国にもたらされ、朝鮮半島を経て、奈良時代に日本に伝来した。色名は、中国が中央アジアを「胡」と呼んだことに由来している>(森村宗冬著『美しい日本の伝統色』 山川出版社 2013年刊)。
何十回と刷り重ねられてきた胡粉が生みだす白い肌。マチエールという言葉では括れない。
ところで、”Y氏”が黄色っぽいじゃないか、と思われる方もいよう。確かに、黄色っぽい。
小澤、こう語る。
「この人物は裏から刷ったものだ」、と。”Y氏”、裏から刷られたものだった。そして、黄色っぽいのは、刷られた和紙の色なんだ。
だから、白と黒、モノクローム。

モノクロームの深淵。
”Y氏”に限らず、作品自体哲学しているように思われる。