街々邑々 勝手に鎌倉案内。

丁度2年前、石田宏は洒落た書『ほろ酔い画帖 街々邑々』を上梓した。日本ばかりじゃなく、外国の街々邑々をも含んだ画文集。
昨年は、”街々邑々”の第2弾として、『京浜東北沿線の街々』をDTPで作製した。そしてこの夏前には、その第3弾『街々邑々 勝手に鎌倉案内』をやはりDTPで作りあげた。

表紙。

目次。
鎌倉だなって名が並ぶ。そのいくつかを選び複写する。

初っ端は、やはり若宮大路から。
石田宏の文も読むことができればと左右見開きにしたが、やはり読みづらいな。

石田の絵のみならよかろう。
若宮大路、石田宏、こういう文をつけている。
<頼朝は、小さな元八幡を鎌倉八幡という壮大なシンボルに作り替え、若宮大路と云う厳然たる都市軸を形成し、権力を誇示した。中央部の段蔓は神社の所有地で道路ではない。春になると、さくらのゲートに人を誘う>、と。

雪の下 扇ヶ谷。
左上は、川喜多邸 迎賓館。右上は、旧大仏邸。真ん中左は、海蔵寺。その右は、旧荘清次郎邸。下左は、高野邸。右下は、栄光教会。このページは、建造物づくし。
石田宏、私たちの仲間内では桁外れの飲兵衛としての印象が強いが、その世界では著名な建築家である。石田、たしか、藝大と東大と早稲田を受けている。東大と早稲田を受けるヤツはままいるが、そこに藝大となると珍しい。相性のよかった早稲田に入っているが、第一志望は藝大であった模様。だから、絵は上手い。

ここからは、ページの半分の複写としよう。それの方が石田の絵がよく伝わる。特に、石田得意の人物がらみの作品においておやである。酒臭いよってことも感じる。
小町通りの野菊。
石田宏の文を引く。
<看板に小料理 野菊 とある。ともかく外観が汚い。小町通りに面して古い木造の店舗(草履の江戸屋、大黒書店)が未だ昔の家屋で営業し、細い路地を入って暖簾にいきつく棟続きのこの店も、昔の儘に営業を続けている。・・・・・。夜になると看板に灯がともる。が、ともらない看板もある。そんな店である。店は狭い。親密な空間である。店内の雑然が心のくつろぎを援けてくれる。こんな店が未だ小町通にあるのは不思議である。無くなんないでほしい。他にこんな店、この通りにはない>、。
石田が心の拠りどころとしている様子、よく解かる。

鎌倉駅東口。
駅脇のあさくさ食堂。
石田の文の途中から。
<・・・・・。古い店である。鎌倉に越してきたのは大震災で浅草俵(田原)町の家屋を失ってのことであったという。だから店名が「あさくさ」、鎌倉でこの店名は・・・・・。朝6時から夜7時まで通しで営業。店は年配女性三人で切り盛りし、そのやり取りがユーモラスで「三婆食堂」のニックネームも頂戴した。だが最近、若旦那が修行から戻って雰囲気が少し変わった。・・・・・。でも、大きく変わらないでほしい。・・・・・>、と石田は記す。
右下の壁に貼ってある紙が気になる。
あさくさ食堂の手書きメニューだ。拡大鏡を使って読んでみた。半分程度が読みとれた。
左の紙には、焼き魚定食600円、カレーライス500円、ラーメン450円、と書かれている。真ん中の紙には、うめぼし50円、のり50円、と読める。ビールの値段は頭に隠れている。右側の紙には、朝定食380円とあり、下に朝6時よりと記されている。
6時は無理だが、朝定食って何時までやっているんだろう。鎌倉まではそこそこ遠いが、一度380円の朝定食を食いに行きたくなってくる。

御成町 魚佐次。
<商店街脇の砂利道を入り、さらに曲折れて行きつく、知る人ぞ知る 魚を喰わす めしや である。老夫婦でやっている。店は二人で商うには少々広すぎるが大丈夫、無暗と客は来ない。畳敷きの広間があって、庭を眺めて胡坐をかいて、昼から酒を呑めば極楽寺まで行かずとも極楽気分ダ>、と石田宏は記す。
その右の高崎屋本店も大変面白い飲み屋なんだが、困ったことに眠くなってきた。

少し端折って大仏へいく。奈良の大仏さまとは趣きを異にするが、鎌倉の大仏さまもそれはそれ。
石田、こう記す。
<大仏裏手 歌碑 観月堂。 大仏の裏手に変なものが二つある。一つは与謝野晶子の句碑で「美男におわす」で有名だ。が、阿弥陀様をお釈迦様と勘違い、浄土宗の高徳院が何故こんな句碑を境内に?頓着ないのか抜け目ないのか>、と。
さらに、<もう一つは観月堂。李朝の王宮にあったものだが・・・・・。韓国では、略奪だ、返せ!の声が高まり、さてどうなることやら>、と続く。
与謝野晶子の詠う「釈迦牟尼」の取り違がえ、石田の記述で初めて知った。また、朝鮮併合、植民地時代の諸々のことは、おそらく日本のあちこちにあることだろう。いずれ、決まりをつけなければならない。

極楽寺駅・極楽洞。
<極楽洞は江ノ電唯一のトンネルである。できたのは明治40年、藤沢の大町までつながった。「俺たちの朝」というテレビドラマがあった。1970年代だった。・・・・・。このドラマが江ノ電を救った。瀕死の江ノ電が蘇生したのだ。その舞台がここ極楽寺であった>、と石田は記す。
近場での極楽寺駅は、この春の是枝裕和の監督作≪海街diary≫に出てきた。綾瀬はるか以下美人4姉妹が住む古い日本家屋の最寄り駅が、極楽寺駅であった。
石田の筆のごとく、趣きのある駅である。

最後は、山ノ内。
八雲神社、円覚寺、北鎌倉駅。
建築家・石田宏らしい建造物でのエンディング。
読むことができるかどうか解からないが、最後も左右見開きとする。