セッション。

白人のジャズプレイヤー、黒人のプレイヤーとどこか違う。元々はクラシックから、という人が多いのじゃないかなー。ロックやポップスの連中などとはまるで違う、というようなイヤミなことがどこか垣間見える。
だから、ヘンにつきつめる。

『セッション』、サンダンス映画祭のグランプリを取り、今年のアカデミー賞にも作品賞を含め5部門でノミネートされた。
一流のジャズドラマーを目指し名門音楽大学へ入学したニーマンと、指導教官であるフレッチャーとの物語である。
原題は、『WHIPLASH』、しなうムチの先、という意。まさにその通り、怖ろしい。ジャズドラムを媒介としたガチガチのセメントマッチが始まる。

『セッション』、監督・脚本は、撮影時にはまだ弱冠28歳であったデイミアン・チャゼル。恐ろしき才能だ。
ニーマンに扮するのはマイルズ・テラー、鬼教官フレッチャーにはJ.K.シモンズ。

この音楽大学の教育、恐るべきパワハラだ。罵倒に次ぐ罵倒。まさに化け物、狂気の沙汰。
名門の音楽大学ということだが、果たしてどこか。こんなことを行なっているのは。ジャズの名門校と言えば穐吉敏子やナベサダ、佐藤允彦、小曽根真、近場では上原ひろみなどが学んだバークリーが頭に浮かぶが、彼らがこのような教育を受けたとは思われない。
虚構か。

ジャズというもの、一体何のためにやるのか。生業のひとつである、なんてことを言ったら若いジャズプレイヤーを目指す人たちは眉をしかめるであろう。やりたい、自己を表現したい、と言うであろう。そうであろう、そうであろう。
そういう映画である。引きこまれる。
しかし、自らジャズプレイヤーでもある菊地成孔、「これから1万6000文字を使って『セッション』を酷評する。長文が苦手な人は引き下がってくれ」、という発信をする。菊地成孔、専門家として大上段に振りかぶった。
この菊地の発言に日和っている連中がいるようだが、面白いよ、この映画。

もう15、6年前になるが、小川直也と橋本真也のガチンコマッチを思いだす。いや、プロレスです。
ジャズの世界であるのだが、プロレスのセメントマッチを思い浮かべる。

ラスト大詰め、ニーマンとパワハラ男・フレッチャー、2人の男の物語がある。
そのバック、宣伝コピーに乗っかれば、ラスト9分19秒に及ぶ「キャラバン」のドラムソロ、見もの、聴きもの。
なお、鬼教官・フレッチャーに扮したJ.K.シモンズ、アカデミー賞助演男優賞を取った。この演技をされちゃ、他はひたすら「参りました」、という他ない。