6才のボクが、大人になるまで。

子供が生まれた若い夫婦は、四六時中子供の写真を撮っている。動画、静止画を問わず。
笑った、泣いた、ウンチやオシッコも。ハイハイし、タッチし、幼稚園へ行き、小学校へ上がり、ま、小学校の高学年あたりまで。10年程度であろうか。

ところが、リチャード・リンクレイター、商業映画でそれをやってのけた。10年どころか12年間。6才のボクが18才になるまでを。まるでドキュメンタリーのようなフィクション。
「オギャー」と生れてからの10年間と、6才から18才までの多感な12年間では、話は異なる。それを追う。毎年、毎年。

監督・脚本:リチャード・リンクレイター。
12年間、4人の役者が家族を演じた。
ボクはエラー・コルトレーン、ママにはパトリシア・アークエット、ローレライ・リンクレイターはおネエちゃん、そして生みのパパにはイーサン・ホークが扮した。
毎年一度、同じ役者が集まり扮する役を演じていく。
ボクやおネエちゃんには、年々の成長がある。ママと別れアラスカへ行ったパパも、時折りはボクやおネエちゃんに会いに来る。ママにも変化がある。キャリアアップをはかるためヒューストンの大学へ入り、修士号を得る。その大学の教師と子供づれで再婚するも、また別れる。再々婚もする。
そうなのか、あるよなー、という物語が進んでいく。

6才ぐらいのボク、パパと。

パパ、ママとは別れているが、ボクたち、つまりボクとおネエちゃんとはちょくちょく会っている。日本でも最近は、離婚した父親が母親に引き取られた子供と時折り会う、ということが行なわれているが、その源はやはりアメリカ。
これは7才か8才ぐらいの頃であろうか。

おネエちゃんとボク。
13、4才の頃であろうか。

6才のボクの12年後、18才になったボク。
ヒゲなど生やして女の子と語らっている。
劇的な展開があるわけじゃない。物語は、12年間、淡々と言えば淡々として流れていく。
しかし、そうであればあるだけに、とても趣き深い。
だから、この作品、あちこちの映画祭で数多くの賞を受けている。アカデミー賞でも作品賞はじめ主要部門に多くノミネートされた。

ゴールデン・グローブ賞をこのように取り、アカデミー賞の主要6部門にもノミネートされ、下馬評も高かった。
しかし、作品賞ばかりか監督賞、脚本賞も『バードマンあるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡』にさらわれてしまった。本作が取ったのは、ママを演じたパトリシア・アークエットの助演女優賞のみ。
時間、時間、そのあらゆる時間、瞬間に、生きていく上での大切なことが詰まっている、ということらしい。