まともな考えも出てきたな。

ナチスからのパリ解放を超えるデモ、パリばかりじゃなくフランス全土で370万人を超える、テロに襲われたシャルリ・エブドへの追悼デモ。
3日前、パリは”Je suis Charlie (私はシャルリ)”、に包まれた。
しかし、何か、どこか、私はその動きに違和感を覚えた。
で、3日前、12日のブログに”「私はシャルリ」、と言い切れるか”、と記した。オレは、全世界の規範に逆らうぞ、その潮流に抗うぞ、と。たとえ一人でも、という意気込みであった。が、世の中には変わり者もいる。全世界には、そのような人、1%ぐらいはいたのじゃないか、と考える。
それが、ここ2、3日の模様を見ていると、まともに考える人が出てきている。増えている。今日あたりの感じでは、3〜40%の人たちがそう考えているのじゃないか、と思えてくる。
1%から3〜40%へ、凄い変化である。
そうは言ってもパリは、”Je suis Charlie (私はシャルリ)”に覆われている。

今日の読売新聞夕刊。
記事には、こうある。<特別号 売り切れ シャルリー紙>、と。
この同紙特別号は300万部の発行予定であったが、500万部まで増刷される方針、と。<AFP通信によると、同紙の収益は、1000万ユーロ(約13億8000万円)以上になるという>、との記述も。
それはそれ、新聞発行も収益事業であるから、それはいい。
しかし、3日前の私は、こういう言動に違和感を持っていた。
シャルリー・エブドの弁護士の「我々は一切譲歩しない」、という言葉。また、フランス大統領・オランドの「パリは今日、世界の首都である」、という言葉。
この言葉、中華思想と同じである。我こそは文化国家である、という考え、中国とフランス、よく似ている。いいかげんにしろ、と言いたい。
実は、シャルリー・エブドに関し、ル・モンド、アル・ジャジーラ、その他幾つかのメディアをチェックしていた。
そのひとつが、”The Huffington Post(ハフィントン・ポスト)”である。
日本語版もある。
日本の編集主幹・長野智子、イギリスの政治部門ディレクターや、韓国の高麗大学法科専門大学院教授のコメントもある。3者三様、面白い。
私は、”The Huffington Post”ニューヨーク版の最新記事を読む。
”The World Post”、ハフィントン・ポストの国際面であろう。Jumoke Balogunなるジャーナリスト、こう記している。
「何故、フランスでの17名の殺人は、2000人とも言われるナイジェリアの虐殺を遥かに凌いで報じられるのか」、と。
ナイジェリア系アメリカ人のジャーナリスト、こう記している。
<そうだ。キミの考えていることは正しい。欧米のメディア、Boko Haramによるナイジェリアでの2000人を超える大量虐殺の悲劇に、さほどの注意をはらっていないんだ>、と。
ニューヨークのハフィントン・ポスト、3日前にはおだやかだった。それでも、欧米のメディア、腰が引けてる。
主要紙のナイジェリアでの恐らく2000人を超える人たちの現況。
The Huffington Post、ボコ・ハラムによる大量虐殺の悲劇に寄り添う。
2〜3日前、火曜日のウエブサイトはこうであった。
ニューヨーク・タイムズの一面は、こう言う。
ワシントン・ポストに、USAトディと、欧米のメディア、ニューヨーク・タイムズと同じパターンをカバーしているに過ぎない、と
オレはどうする。この状況の中。