台北 国立故宮博物院展。

北京の故宮博物院へは何度か行っているが、台北の故宮博物院を訪れたのはただ一度のみ。30年以上、いや、35年ぐらい前であった。胃を切り取ってからゴルフをやめたが、まだゴルフをやっている頃、名門コースである淡水でのツアーへ誘われた。
1日目は淡水の素晴らしいコースを回った。が、翌日は、雨模様ではあったがゴルフはキャンセル、故宮博物院へ行った。凄いものがあるな、という印象はあるが、はるかな昔、何がどうあったのかということは、今ではまったく憶えていない。

東博正面入口前の看板。「神品至宝」、と大きく書かれている。
故宮博物院の至宝、中国歴代王朝の皇帝のコレクションなんだ。中でも最後の王朝・清朝皇帝の、なかんずく乾隆帝が集めた至宝である。
故宮博物院の至宝、歴史の波間に押し流されている。

そもそも故宮博物院、清朝最後の皇帝、そうあのラストエンペラー・溥儀が退去した後の北京の紫禁城に、1925年誕生する。
1932年、日本は傀儡国家である満洲国を建国する。その翌年、1933年、日本は熱河省へ侵攻、日中関係緊迫する。故宮博物院の至宝は、合計19557箱もの木箱に詰められ、中華民国の首都・南京へと運ばれる。
しかし、1937年、盧溝橋事件から全面的な日中戦争に突入、故宮博物院の至宝も四川省などのさらに内陸の奥地へ移動される。
さらに戦後の国共内戦で敗れた国民党の蒋介石は、1948年、故宮博物院の至宝を台湾へと運んだ。
今、台北の故宮博物院には、69万点の文物が収蔵されているそうだ。その9割は、清朝の皇帝が集めたもの、という。

台北の故宮博物院は、大英博物館、ルーブル美術館、メトロポリタン美術館と共に、世界4大博物館と称している。
しかし、それはちょっと言いすぎだ。北京と台北、二つ合わせて故宮博物院である、というのが正確であろう。さらに、世界4大博物館というのも少しどうか、と思われる。
博物館と言おうと美術館と言おうと、大英博物館、ルーブル、メトロポリタンの三つは決まりであるが、あと一つは難しい。サンクトペテルブルグのエルミタージュ、ウィーンの美術史美術館、幾つもの美術館で成り立っているヴァチカン美術館、マドリードのプラド美術館、4つの美術館、博物館で構成されるベルリンの博物館島、そして、北京と台北の故宮博物院が合わさった故宮博物院。どれを4つ目に持ってくるかは各人の好みによる。
いっそ、世界8大とか9大博物館とか美術館、と言えばいい。

今回展の目玉は、≪翆玉白菜≫であった。2週間しか展示されなかったので、私は観ていない。中国の人、玉が好きなんだ。
玉の白菜が帰った後、この玉作品が展示された。≪人と熊≫。
わずか数センチの小さな作品である。白黒の色調の玉を用いて人と熊を彫りだしている。清時代、18〜19世紀の作。私には、さしたるものとは思えないが。

≪散氏盤≫。
前9〜前8世紀、西周時代。3000年ほど前の青銅器。
<350字の銘文をもつ皇帝コレクションの重宝>、とある。

≪刺繍九羊啓泰図軸≫。
元時代、13〜14世紀。
<9匹の羊は、あらゆることが思い通りにいく「九陽」に通じる>、との説明書き。

≪雲横秀嶺図軸≫。
高克恭筆、元時代、13〜14世紀。
<宇宙を表現した崇高な山水>、とある。

≪行書黄州寒食詩巻≫。
蘇軾筆。北宋時代、11〜12世紀。
<黄州(湖北省)に流されて3年目、47歳の蘇軾が我が身を詠じた詩を揮毫した作>、だそうだ。
この書、傑作中の傑作として、歴代の皇帝が愛でたが、中でもとことん魅了されたのは、清朝最盛期の皇帝・乾隆帝。

詩巻の全体は、このようなもの。
蘇軾の書き出しの前に多くの印が捺されている。乾隆帝のもの。乾隆帝お気に入りの証である。また、中ほどから少し左へ寄った小さな文字で書かれた7〜8行は、乾隆帝自身による跋文だそうだ。
ところで中国という国、悠久の歴史を持つ国であり、多くの王朝が興っては滅んでいった。
何千年も前の夏、高、周、・・・、はともあれ、紀元前後の漢から晋、隋、唐、このあたりまでは、貴族政治、貴族文化であった。王族やそれに連なる貴族が国を動かしていた。
が、その後の北宋からは、士大夫が国の中枢を担うようになる。士大夫、難しい科挙の試験に通った者である。彼らが官僚として国を動かす。出自よりは、実力である。北宋から南宋、元、明、清、と士大夫の時代が続く。
全人口の僅か1パーセントにも満たない満州族の王朝である清朝が、中国史上最大の版図を持ったのも士大夫を上手く使ったから、ということも言えるのではないか。どうも最大民族である漢族を押さえるのに、士大夫の頭を使っている。
中華民国となり、さらに、中華人民共和国となった中国に科挙に受かった士大夫、という制度はなくなった。共産党一党独裁の今の中国も、本来は士大夫同様、頭のいい実力のある連中が国を動かしているはずである。
が、このところの中国を見ていると、どうもそうとは思えない。士大夫の系譜が途切れている。
士大夫、学問芸術に精通した知識人であるが、その出自は問わず、何よりも高潔な人士である。
しかし、今の中国を動かすトップ、中国共産党中央政治局常務委員の7人の中、習近平を含め3人は太子党の出身である。いわば、貴族階級の出と言える。唐時代まで逆戻りしたようだ。彼らやけに覇権主義を唱える。士大夫の高潔な心なんて、どこかに吹っ飛んでしまったかのようだ。
共産主義国家なんてチャンチャらおかしい、超資本主義国家でもある。国民の経済格差は開く一方、という状況。その不満を抑制するために、ナショナリズムを利用している。覇権主義というナショナリズムを。悠久の歴史を持つ国として、恥ずかしくないのか、と思うよ。
ついつい、台北の故宮博物院展から離れていってしまった。
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≪紫檀多宝格≫。
清時代、乾隆年間(1736〜1795)。
高さ20センチあるかどうか、といった小さな箱である。乾隆帝が、そのコレクションの中から小品やミニチュアを精選してこの小さな箱に詰めこんだんだ。「皇帝の玩具箱」である。乾隆帝のみに許されたおもちゃ箱。


ところで、一昨日、インドの新しい首相・モディが来日した。先進国の中では最初の訪問国である。まずは、京都へ。
安倍晋三も反応している。
一昨日の夜は、京都迎賓館でモディと二人、錦鯉にエサをやっていた。さらに昨日の朝には、東寺でのツーショット。モディはその後、京大の山中教授の研究室を訪れている。今や、山中教授も日本の秘密兵器のひとつとなっているんだ。
今日夜に行なわれた安倍晋三とモディの会談、インドのインフラ整備の支援や新幹線の売りこみ、原子力がらみの売りこみもあったが、覇権主義が顕著な中国に対する日印の連携、ということにその主眼がおかれていたようだ。
今の中国、どう考えても哲人がいない。孔子や孟子とは言わない。せめて、周恩来ぐらいの人間はいないのか。