69年後の8月15日。

昭和20年8月15日、「ポツダム宣言」を受諾する玉音放送が流れた。その日から69年が経つ。

今日の日本武道館。
NHKの画面。

内閣総理大臣・安倍晋三、昨年同様、第一次安倍内閣時とはかけ離れた式辞を述べた。
7年前の平成19年(2007年)の安倍晋三、8月15日の式典の式辞でこう述べた。「・・・・・とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。国民を代表して深い反省とともに・・・・・」、と。
その後の安倍晋三、”しまった、余計なことを言ってしまった。何でオレが、村山富市なんかと同じようなことを言わねばならないんだ。そのようなことは言うべきではない。”、と考えたに違いない。
昭和16年(1941年)、日本はアメリカと戦争を始めた。イギリスとも。
しかし、その前からアジアの国々を侵略していたんだ、日本は。欧米に遅れてきた帝国主義国家として。いろいろな国に迷惑をかけたんだ。苦痛を与えたのは事実なんだ。
だがしかし、相手の痛みが解からなくてどうする。それで国際関係を乗りきっていけるワケはない。安倍晋三の考え、あまりにも短絡に過ぎる。
今の日本に、短絡的思考の安倍晋三を教育できる人材はいないのか、と考える。幕末期の佐久間象山や吉田松陰、勝海舟のような傑物はいないのか、と。

今上、皇后、両陛下のこのようなお姿を見ると涙が出てくる。
今上天皇の歩くお姿、年々緩やかなものになっている。皇后・美智子さまが目には見えぬ不思議な力で、今上天皇を支えられているように思える。

69年前に終わった太平洋戦争・第二次世界大戦での日本の戦没者は、約310万人。
正午・12時、黙祷す。

今上天皇のお言葉。
毎年、そう変わるものではないが、今上天皇のお言葉を聞くと身が引き締まる。

先週土曜日、18年前に酔っぱらって階段から落ちて死んだ古い友の墓参りに行った。同年に同じ大学へ入ったR.H.と。
墓参りの後、居酒屋で飲んだ。
18年前に死んだ男のことなどを話したが、R.H.が野坂昭如のことを話した。その日の朝のラジオで聴いた、と。確か、野坂昭如、カミさんや娘、孫と共に沖縄へ行った、とのことであった。2003年に脳梗塞になった野坂昭如、よかった、と思った。
で、野坂昭如が脳梗塞で倒れる前年、2002年の8〜9月期のNHK教育テレビ「人間講座」のテキストを引っぱり出した。
”「終戦日記」を読む”、という野坂昭如による9回に亘る講座。
3年前、2011年の8月15、16日でも触れたが、それとは異なる記述を。
上は、”玉音放送の録音盤”。NHKの講座テキストを複写した。

”街角で玉音放送を聞く人々(写真・毎日新聞社)”。同じNHKの講座テキスト。
野坂昭如の講座。その断片を幾つか。
<八月十五日は、玉音放送の日でしかない>。
<完膚なきまでやられての敗戦。原爆、ソ連参戦でようやく、決めた敗戦受け入れ>。
<玉音放送はお告げ、日本人は生き残った>。
8月15日、どう思おうか。
さまざまなものが幾重にも折り重なり、とても重層的。