日本表現派ー東京ー2014展。

犬飼三千子のフェルメールもビックリ展の少し後、山本宣史の日本表現派の東京の会員展があった。

日本表現派の全国展は都美術館で催されるが、東京地方の会員の展覧会はいつも大崎ニューシティのO美術館。
千葉県に住まいする私、大崎に限らず、駅から歩道橋でビルに繋がるところに来ると、東京だなー、都会地だなー、といつも思う。まして、ビル街でありながら緑があるところなら、なおのこと。
ここも緑っぽいんだ。

O美術館入口。

入口を入った正面円柱の前に、これがあった。
一目見て、山本宣史の水墨画であることが分かった。
30数人のアーティストが参加している中、どうして山本宣史のこの作品が入口正面に飾られているのか。受付けの人に訊いた。
特にどうと言うことではではないが、今回は山本さんの作品になった、という答えが返ってきた。何とも分かりづらい答えであるが、まあ、そういうことであるらしい。
忘れちゃいけない。この作品のタイトルは、≪トーディーの二寺院≫。
トーディーを描いた作品、この後の早稲田美研の仲間のグループ展にも出品していた。山本お気に入りのイタリアの丘陵都市である。

山本宣史のあと1点の出品作は、これ。
山本の言う膠彩画。

そのタイトルは、これ。
さすが山宣、いいぞ山宣。
山宣・山本宣史、3年前の東日本大震災の後、東北へ行った、と言う。温泉に入ったり大間でマグロを食ったり、という物見遊山の旅であったらしいが、それはそれでいい。
三陸沿岸へも行っている。その後の日本表現派展に、≪浄土ヶ浜≫や≪鵜ノ巣断崖≫を発表している。いずれも岩手の三陸沿岸。
上のタイトルにある北山崎もそうである。三陸沿岸だ。
山本宣史、三陸へまた行ってくれ。
男・山宣、被災地へも行ってくれ。



理研、発生・再生科学総合研究センターの副センター長、笹井芳樹が自死した。
笹井芳樹、何と、36歳で京大教授となっている。再生医療の世界的権威。ES細胞で・・・・・、とかで、ノーベル賞の噂も云々されていたそうだ。
今日も理研の理事長・野依良治ばかりじゃなく、内閣官房長官の菅義偉も世界的な学者の死を悼んでいる。
しかし、笹井芳樹、STAP細胞で躓いた。思い入れが深すぎた、
iPS細胞でノーベル賞を取った同じ京大の山中伸弥教授へのライバル意識がそうさせた、と思わざるを得ない。
笹井芳樹、ハーバード帰りの小保方晴子のSTAP細胞に飛びついた。焦っていたのじゃないか。
いや、・・・・・、・・・・・、その後のことはどうでもいい。
STAP細胞に関しては、やはり笹井芳樹に責任はある、と思う。小保方晴子の指導者として。
でも、人間、失敗はあるよ。どんな分野でも。
しかし、学問の分野では、その責任追及、おそらく凄まじいものであったもの、と思われる。
日本の学問の世界、その内情は凄まじいもの、と思わざるを得ない。
この後は、小保方晴子のことが心配だ。
小保方晴子も四方八方、全方位から銃撃を受けている。笹井芳樹の後を追う、なんてことはしないでもらいたい。
恩師であるハーバードのバカンティ教授は、小保方にボストンへ戻ってこい、と言っている。
小保方、日本などとは離れ、ボストンへ行け。