愛、アムール。

壁面いっぱいが書物やCDで埋めつくされた居間には、大きなグランドピアノがある。80を過ぎた元音楽教師の夫婦が住む。パリ市内の優雅なアパルトマンである。
ある日、女房に異変が生じる。突然、記憶が失われる。
その時は、すぐ元に戻る。医者に行き治療も受ける。手術も。しかし、結局右半身が麻痺してしまう。アパルトマンへ帰るが、車いすの生活となる。女房は亭主に、「もう病院へは戻りたくない。家にいたい。それを約束してほしい」、と言う。亭主、最後にはその言葉を飲む。
老老介護が始まる。経済的なゆとりのあるこの夫婦、介護人も雇うしヘルパーも雇う。しかし、それであっても基本的には老老介護である。女房の状態は、刻々と進行していく。
身につまされる。すぐそこの問題である。
監督は、オーストリアのミヒャエル・ハネケ。65回カンヌ国際映画祭のパルムドールを受賞した。それも、2年続けて。今年のアカデミー賞にも監督賞その他5部門でノミネートされた。外国映画賞を受賞した。

老夫婦を演じているのは、男はジャン=ルイ・トランティニャン、女はエマニュエル・リヴァ。50年前を知る人には、「オーッ」、という二人である。
ジャン=ルイ・トランティニャンと言えば、『男と女』。
監督は、クロード・ルルーシュ。フランシス・レイの「ダバダバダ、ダバダバダ」の曲が耳に蘇る。
それよりも何よりも、相手の女である。確か、映画のスクリプター。アヌーク・エーメが扮した。アヌーク・エーメ、これぞ極上のフランス女、といった女優であった。シモーヌ・シニョレの系譜を継ぐ女優である。大好きであった。
エマニュエル・リヴァと言えば、我々日本人には、『二十四時間の情事』である。
監督は、アラン・レネ。原題は、『Hiroshima mon amour(ヒロシマ・モナムール)』。
広島での男と女の物語。フランス女・エマニュエル・リヴァの相手の男は、日本の知性派俳優・岡田英次であった。
アラン・レネとクロード・ルルーシュから50年経った今、ミヒャエル・ハネケは老老介護の現実を投げかける。

老老介護、究極のところ、”愛”の物語である。そうならざるを得ない。
ラストシーンはこうである。
老夫婦の娘が鍵を開け、アパルトマンに入ってくる。アパルトマンには誰もいない。
その少し前の場面はこうである。
アパルトマンの寝室。年老いた男が発作的に枕を手にし、年老いた女房の顔に押し当てる。そうなるのじゃないか、と考えてはいた。
結果は、そうなった。仕方ないよ。
今の日本の現実も、そうであるかもしれない。