五輪、歴史、主権、そして、感情(続き×2)。

波多野澄雄の『国家と歴史』、歴史問題を考えるテクストとして相応しい。
太平洋戦争敗戦後、連合国によるものでなく日本が戦争犯罪人を裁く「自主裁判」構想(閣議決定したが、潰えた)、1952年の中曽根康弘の天皇退位論(天皇には戦争の「形式的責任」はないが、「過去の戦争について人間的苦悩を感ぜられておられることもあり得る」・・・・・「もし天皇が御みずからの御意思で御退位あそばされるなら、・・・・・」、という天皇の心情を慮った論考。時の宰相・吉田茂、「非国民」と一喝したそうだ。)、といったようなンンウッというような興味深い話も出てくる。
しかし、中心となるのは、戦後日本の歴史問題である。東京裁判、植民地帝国の精算、靖国問題、歴史教科書問題、侵略戦争めぐる攻防、中韓との歴史共同研究、平和国家と歴史問題、・・・・・。
波多野澄雄、この書を上梓した昨年は筑波大学の教授であるが、30年以上、外務省外交資料館、防衛庁防衛研修所戦史部、その他国家機関に於いて、太平洋戦争及びそれがもたらしたさまざまな歴史問題に関わってきた。
国の方向性決定にもある程度の影響力は持っていた、と感じられる。「アジア女性基金」や九段の「昭和館」など、そうかとも思う。恐らく、波多野澄雄、国に重用された学者であろう。しかし、波多野澄雄、とても冷静な人である。個々の問題に関し、驚くほど冷静。
人間味もある。例えば、慰安婦問題である。この問題、1965年の日韓基本条約と日韓請求権並びに経済協力協定によって決着した。法的には、そうである。しかし、それで済ましていいのか。人には、感情がある。気持ちの問題ということもある。私たちその他大勢の一般の人間はどう思おうとそれはそれ、どうでもいい。しかし、冷静な学者である波多野澄雄にも、はっきりとした言質は取られない用心はしているのだが、どこかその気持ちを解ってもいいのじゃないか、というところが感じられる。
それだからこそ、波多野教授の記述、我ら一般大衆にとって、いいテクストとなる。
その波多野澄雄にして、最後にこう書いている。
<・・・・・、国が戦争や植民地支配の歴史像を、どのように近隣諸国が納得できるように形作るか、どのように後世代に伝えていくかというテーマは、おそらく永遠に存在し続けるだろう>、と。
支配、抑圧、また、蹂躙してきた国と如何に向き合うか、難しい。特に、中国や韓国とは。冷静なビジネスマンであった李明博が、一体どうした、というぐらいに平静さを失うのだから。日韓の間、とても難しい。とても微妙。
韓国にも、いささかの思いがある。
今では変わっているかもしれないが、30年以上前、ソウルのロッテホテルの地下に大きなクラブがあった。私は、もう若くはなかったが、若い日本人の男女を何人か引き連れていた。踊り場で踊っていると、いきなり殴りかかってきた男がいた。何やら大きな声を出しながら。
相当酔っ払っていたその男のパンチは、空を切った。私には、当たらなかった。その男の連れが2、3人、あわててその男をおし止めた。クラブの係員も飛んできた。大声を発しながら私に殴りかかってきた男の言葉、私は一つだけ聞き取れた。「イルボン」という言葉である。
”イルボン”、日本とか日本人という言葉。
思うに、この日本人のクソ野郎、韓国に来て、デカイ顔で飲んでやがる、ということであったのであろう。それもこれも、1910年から1945年にかけての韓国支配にある。30年以上前とはいえ、それが現実であった。
今でも、変わらないかもしれない。しかし、そういうことばかりじゃない。
実は、韓国にも何度か行っている。10数年前、キョンジュ(慶州)の仏国寺へ行くため、プサンに着いた。ところが、その日は、どこだったかワールドカップの予選の日韓戦が韓国で行われる日であった。サッカーの日韓戦、韓国の視聴率は、7〜80%と言われていた。
イヤな日になったな、日本が勝っても、何らかの反応はあるであろう。韓国が勝っても、何らかのことになるのじゃないか、ヤバイな、と思っていた。
プサンの空港のインフォメーションで、キョンジュの宿を取ってもらった。バスターミナルから近くで、日本円でコレコレ程度で、という宿を。その後、サッカーの日韓戦、どうなってますか?、と聞いた。日本が1点勝ってるようですよ、とインフォメーションの若い女性は答える。
サッカーの日韓戦、韓国中がカッカとしているわけではない。冷静な人もいる。
プサンのインフォメーションで取ってもらったキョンジュ(慶州)の宿も、とても気持ち良かった。女将さん、とても気さく、いい人だった。
そんなことより、日本、1910年に大韓帝国を併合した。韓国の地、韓国の人を日本のものとした。
支配者と被支配者・支配される人たちとの構図が、描かれる。

丁度ひと月ほど前、京都の高麗美術館のことを書いた。浅川巧のことを記した。


高橋伴明の映画では、"民族の壁を越え、時代の壁を越えて生きる男と男の物語”、”今知るべき時が来た”、と喧しい。
日本による韓国併合と浅川巧。いや、より大きく、どうしようか。支配と被支配。
20世紀の日本、多く関わった。