ノンビリ(続き)。

樹木希林と尾久彰三の気楽な二人旅、佐渡のあとは金沢へ寄ったり、大阪へ行ったりし、最後は京都へ行く。
オイオイ、ノーテンキでノンビリとしている連中のこと、まだ続くのかよ、とお思いの方もおいででしょうが、そうなのです。あの二人の珍道中、4日間連続して流されたもので。だから、私も、あと一回。
あちこちで、ただ生きていくには、何の役にも立たない面白いものにも出会うのだが、それらは一切割愛する。最後は、京都。東寺の骨董市、がらくた市へ。

骨董市、あちこちで開かれている。東京、平和島の骨董市など、出展数は200を超える。京都、東寺境内での骨董市は、骨董市中の骨董市、永い歴史を誇る。ずいぶん昔になるが、私もたまたま行きあったことがある。面白い。
尾久彰三、旅の終わりに、樹木希林を東寺の骨董市へ連れて行く。
この映像の左に出ている文字、読み辛いところがあるが、こう書いてある。”食欲色欲ばかりで生きている人間は、まだ犬猫なみの人間で”、と。
これに続けては、こう。”それらに満足し、若しくはそれらを超越すれば、是非とも人間は骨董好きになる”。さらに続けて、”どんなものだと反身になるのもマンザラ悪くは有るまいかも知らぬ”、と。
何やら、手前勝手な論理には思えるが、幸田露伴の言葉だそうだ。

「瓦が欲しいのだが」、と言っていた尾久彰三、この瓦を買った。
東寺の骨董市には、永年、ずっと通い詰めている、という人の口利きで、大分安くしてもらったようだが。

お二人さん、その人のところへ行く。
「囲まれてないと」、と言っている右側の人がその人。版画家だ。この人、3部屋か4部屋のマンションを二つ持っている。部屋の中、どこも物で一杯。時計、箪笥、仏像、その他何でもが溢れている。更にこれでも飽き足らず、今、家をひとつ造っている、とも言っていた。羨ましい御仁である。

この人、仏像も滅多やたら持っているが、これは、そのひとつ、不動明王だ。たしかに、そう。不動明王。それが、どうした、と思ったら、これは東寺の骨董市で買った二つのものを組みあわせたものだ、と言う。前のお不動さまと後ろの火焔は、別々に求めたものだそうだ。
後ろの火焔は、東寺の骨董市で、4000円で買ったものだ、と言う。たしかに、4000円には、とても見えない。桁が違っても、ああそうか、となろう。その4000円をこの人、得意げに話すんだ。
この感覚、幸田露伴が言う、”反身になるのもマンザラ悪くは有るまいかも知らぬ”、というものだ。そうなんだ、がらくたの世界。

この東寺の骨董市に通う憎めない人、まだ、反身になって話していることがあった。今、造っている家の天井に、これを付けたそうだ。
これ、宝珠、儀宝珠だ。それを天地逆にして、天井に取り付けた。そのアイデア、どんなもんだい、と反身になっているんだ。
そんな世の中のことには、何の役にも立たない、ノンビリとしたことなど、勝手にやってくれ、ということではあるが、ノンビリとしたこと、どこかいい。