オホーツクふらふら行(9)博物館網走監獄。

東京五輪・パラリンピックの1年程度の延期が決まって、まずは「ホッ」っとしていたら、その後急にキナ臭くなってきた。東京での新型コロナウイルスの感染拡大が、一気に進んでいる。
昨日夜、小池百合子がこう言った。「感染爆発 重大局面」だと。
オーバーシュートだとかロックダウンだとか、といった言葉が飛び交っている。今日は、政府対策本部を立ち上げてとか、「緊急事態宣言」云々といったことも。政府は、7年近く「回復」としていた文言を修正、景気判断を下方修正した。
内閣府からは、リーマンショックと東日本大震災を合わせたよりもダメージは大きい、という声も出ている。
感染症専門家の皆さんが異口同音に言っている「3つの密」とは真逆の、ほとんど人の居ないところをふらふらしていた私であるが、やはり何やらこそばゆい。オホーツク沿岸、人の姿を見ることがホントに少ないのだが。
どうもイマイチ気が乗らないなということはあるが、尻切れとんぼもナンなので続けることとする。


網走と言えば、まず頭に浮かぶのは刑務所だ。
東條英機などA級戦犯が収監され処刑された巣鴨プリズン(東京拘置所)や、3億円事件の府中刑務所も思い浮かぶが、何といっても網走だ。
網走刑務所、明治23年(1890年)に作られた。130年前となる。
その旧網走刑務所の歴史的建造物25棟を保存展示する野外博物館として、1983年に「博物館網走監獄」が作られた。
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鏡橋。
網走刑務所に収容される時も、晴れて出所の時もこの橋を渡る。<水面に我が身を映し>、と図録にある。
4、50年ぐらい前の夏、私も網走川に架かる鏡橋を渡った。中へは入れなかったが、表門を見た。
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バスの1日パスを持っていると、入館料は割引となる。だが、70歳以上だと割引はそれ以上、半額550円となる。
この日、2月29日の日中の気温はー5℃。
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赤煉瓦造りの堂々たる表門(正門)。
なお、立っている看守は人形。
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シックな色調の旧庁舎。重文。
なお、博物館網走監獄には、古い網走刑務所から移築復原された建物のうち8棟が、国の重要文化財に指定されている。
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旧庁舎内は、現在このような展示やミュージアムショップとなっている。
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このような一画や、
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このような一画に。
出てきた15年前に訪れた時求めた図録には、受刑者が作った小さなニポポ人形を求めたことも記されているが、今回は何も買わなかった。
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裏門。
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漬物庫と耕転庫。
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監獄歴史館。
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「終結身分帳」。
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盛りだくさん。
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この色は、囚人・囚徒の色。
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「番外地」。
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健さん。
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監督:石井輝男、主演:高倉健、『網走番外地』。
<どうせ死ぬなら娑婆で死ぬ>、<オホーツクの飛沫をあびて、白い原野に・・・>の惹句。
作詞:タカオ・カンベ、作曲:不詳 『網走番外地』。
本家・健さんが歌う中、以下2番のみを。
     キラリ キラリ光った 流れ星
     燃える この身は北の果て
     姓は誰々 名は誰々
     その名も 網走番外地
80に近いじじいが『網走番外地』と聴くと、ひょろひょろ、へろへろの身が熱くなる。新型コロナウイルスのことなど、どうでもよくなる。安倍晋三と小池百合子に任せる。森田健作には任せられないが。
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監獄歴史館には、日中だというのにツララが下がっていた。陽の光を浴びて。
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舎房。これも重文。
5翼の放射状の舎房である。明治45年(1912年)に建てられたものを、昭和60年(1985年)移築復原された、と図録にある。
道は除雪はされてはいるが、気をつけないと滑る。私は、ストックを使いゆるりと進む。
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舎房へ入る。
<中央見張所を中心に5翼の木造による舎房が現存するのは、世界でもこの網走のみで、・・・>、と図録に。
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放射状舎房の一翼。第一舎。
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第一舎は、雑居房が32房。
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天井は高い。明かりが入る分厚いガラスには、金属線が織りこまれている。脱走することはとても不可能。
が、近代日本犯罪史上群を抜く、2人の脱獄王がいたそうだ。明治期の五寸釘寅吉こと西川寅吉と昭和の白鳥由栄。この二人、網走監獄から脱獄しているんだ。そういうミニ企画もあった。
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第四舎は、独居房。
広さ4.9ヘーベ、3畳ほどの独房が80房並ぶ。
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浴場。
総身彫りとも言える「くりからもんもん」の男も。
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懲罰房。
規律に反したり反抗したりした囚人・囚徒を、7日間閉じこめておいたそうだ。窓がない独房である。
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これも重文、教誨堂。
大きな建物であり、中にはさまざまなものが展示されている。教誨師たちのことや、中での趣味の数々が。俳句や短歌、文芸誌もある。書道や絵画も。
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こういう一画があった。
似顔絵。右からオードリー・ヘップバーン、美空ひばり、そして、皇后・美智子さまであろう。昭和を思わせる。
山田風太郎もその著に記しているが、昭和の男が美女として思い浮かべるのは、美智子さまが多いのだ。このことは網走刑務所の受刑者も同様、ということのようだ。


ところで、北海道生まれの八木義徳は北海道がらみの物語を幾つも記しているが、中に『網走刑務所』(「北海道文学全集 第14巻 この風土に育つ」 昭和56年 立風書房刊所載)という直球ど真ん中というタイトルの作品がある。
主人公の男が、17年ぶりに北海道への帰郷の旅をする。札幌の駅頭へ向かえてくれた旧友に旅程はと訊かれ、摩周湖や阿寒湖などとともに網走刑務所のことも話す。北海道庁の高級官吏であったその旧友、網走支庁へ電話をかけ、向こうから網走刑務所の方へ、となる。主人公の男が網走刑務所に着いた時には、不在の所長に代わり副所長が出迎える。官僚のイヤな面だが、現実にはこういうことが多いのであろう。
副所長は、主人公の男を刑務所の隅々まで案内して回る。
八木義徳がこの作品を書いたのは、昭和25年であるから、刑務所内の主な建物は、今、博物館網走監獄に移築されているものである。刑務所内での文芸や書道、絵画といった趣味活動も。で、主人公の男、こう言うんだ。
<「そうすると、現代の刑務所ではほとんど完全な文化生活ができるッていうわけですね。・・・不足しているものは何」でしょう?・・・>、と。
網走刑務所の副所長に案内された主人公の男、中庭に咲く大輪のカンナの花を見て、・・・、・・・、・・・、<そうだ、この百パーセント文化的な刑務所の中で、たった一つ不足しているもの それは女だ>、と。<彼等への唯一の刑罰は、彼等に女をあたえぬことなのだ>、と。
北海道文学、そこまで言うか、というものが多いな。どうも。
その後、監獄食堂で何か食おう、と思った。
15年前は監獄食を食った。囚人が食べているものと同じもの。しかし、今はそのようなものは食えそうにない。普通のそばにした。半分ほど食った。

まずはホッ、じゃないか。

今しがた日本国総理・安倍晋三は、IOC会長・バッハと電話会談を行った。組織委員会会長・森喜朗、東京都知事・小池百合子、オリンピック、パラリンピック担当相・橋本聖子を従えて。
東京オリパラ、1年程度の延期を申し入れ、バッハと合意したそうだ。中止はないとの確認も。
日本中、まずはホッ、じゃないかな。
延期になれば追加コストがどうこうとか、アスリートのモチベーションがどうこうとかと言っている人もいるが、オリンピックとパラリンピックをやりたいと言って手を挙げたのだから、いざという時のリスクも受けいれなきゃ。
森友文書改ざん問題では逃げまわっている安倍晋三だが、それはそれ。今回のような対外的な問題では、やはり安倍晋三となるのではなかろうか。岸田文雄その他の連中では役不足である。一瞬、あの三白眼の石破茂ではとも思う。が、石破茂が自民党総裁となり日本国総理となることは、まずあるまい。
いずれにせよ東京への招致にあたり、福島第一原発の状況を「アンダー・コントロール」と大口を叩いた安倍晋三、五輪、パラリンの通常開催への思いは強い。頑張ってもらおう。
先ほど流れた速報では、IOCの臨時理事会で、安倍晋三とバッハの間で合意された1年間程度の開催延期が承認されたそうだ。
あとはWHOである。
今日、WHO事務局長のテドロスは、「パンデミックは加速している」と語っている。
来年の今ごろ、WHOのテドロスが、「新型コロナウイルスの蔓延は1年前と変わっていない」とか、「1年前より酷くなっている」、という発言がないことを願うのみ。
そうではあるが、まずは「ホッ」。

理事長・八角 声つまらせる。

プロと言わずアマと言わず、スポーツ団体のトップ、問題のある人物や才能のない者が少なくない。
その中で日本相撲協会の歴代理事長は、みなさんなかなかな人物である。
双葉山と言わず、栃錦と言わず、若乃花と言わず、それ以降の佐田の山、豊山(時津風)、一代年寄・北の湖、三重ノ海(武蔵川)、魁傑(放駒)、と。
元北勝海である今の理事長・八角もそうである。出来のいい理事長である、と思う。
その八角、今日の春場所千秋楽の理事長挨拶の中で、感極まり声をつまらせた。10数秒の間。
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大阪での大相撲春場所初日、今月8日に幕を開けた。無観客場所として。
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北海道から戻ってきて4日目、自主避難をしていた私はホテルのベッドで無観客の初日を見ていた。
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協会役員の親方衆と幕内全力士を従えた協会理事長・八角、初日の挨拶をする。
「古来、力士の四股は・・・」、と。
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今場所の焦点は、朝乃山の大関取り。
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出ると優勝を繰りかえす横綱・白鵬がどうなるか。初場所休場であるが。。
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7日目、先場所限りで引退した元大関・豪栄道(親方・武隈)がスーツ姿で出てきた。
現役時代はいつもムスッとした顔をしていたが、穏やかな面持ち。土俵では、やはり緊張の連続だったのであろう。
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12日目、白鵬が正代に敗れ、1敗の碧山が単独トップとなる。
幕尻の徳勝龍が賜杯を手にした先場所の再現か、という展開となった。
が、碧山その翌日敗れ、2敗。
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さらに昨日14日目には、前頭13枚目の碧山、白鵬との割りが組まれた。
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ただ一度の不戦勝があるのみで白鵬戦全敗の碧山、昨日も負けた。
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14日目結びの一番。
鶴竜対朝乃山。
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土俵際での投げの打ち合い。鶴竜の下手投げが勝った。
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朝乃山、これで4敗となる。直前3場所の勝ち星33勝には、千秋楽に勝っても届かなくなる。
これで12勝2敗の千秋楽での横綱の同星決戦。
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今日、千秋楽、朝乃山は貴景勝に勝つ。
直前3場所33勝にはひとつ星が足りない。
が、相撲内容がいいとのことで、来場所での大関昇進が確実となった。
両横綱の力は確実に落ちてきている。一人大関の貴景勝もアップアップしている。このような状況の中、朝乃山の大関昇進は理に適っている、と私も考える。
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今日、千秋楽の両横綱の同星決戦、やはりと言うべきであろう、ここ一番の白鵬が制した。
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白鵬、44回目の優勝。
床山に髷を直させ荒い息を吐きながら、「モチベーションをどうこう」と語る。
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春場所千秋楽、この後このような手順で進むようだ。
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初日と同じく、協会役員と幕内全力士を従えた理事長の八角の挨拶、異例のものとなる。
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挨拶を始めた八角、感極まり声をつまらせる。10秒以上も。
無観客場所を決断した思いが、胸に迫ってきたのであろう。
そして、こう語る。
「ひとつの信念を持って行った」、と。さらに、「全力士、全協会員を誇りに思う」、と。
日本相撲協会の歴代の理事長と同じく、八角も立派な理事長である。
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土俵上に御幣が置かれた。
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来場所の番付に序の口と記載される出世力士手打式である。
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そして、神送りの儀式。
行司を高く胴上げする。初日にあたり土俵へお迎えした神を、天空へ送り返す。
仕事をしていた現役のころ、ある期間、年に1、2回国技館の升席で酒を飲みながら土俵を見ていた。取引先からの接待であった。しかし、千秋楽に行ったことはない。だから、このような神送りの儀式を見るのはは初めてである。
無観客場所のおまけである。
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大阪春場所、すべてが終わった。
15日間持ち堪えてきた土俵もひび割れている。土俵上では呼び出しがなにやら。
趣がある。
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初日に八角が語っていた言葉、今日のNHKでも流れた。
「古来から力士のしこは・・・」、と。
美しい四股を踏む遠藤だ。
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そして、「また横綱の土俵入りは・・・」、と。
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大阪での3月春場所、こうして幕を閉じた。
これはこれで面白かった。

オホーツクふらふら行(8) 網走。

今年は閏年、2月は29日まである。
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その日の道新。
一面トップは前日夜の北海道知事・鈴木直道の緊急事態宣言。週末の外出自粛要請も。
鈴木直道、この日東京へ飛び、総理大臣・安倍晋三へ北海道支援の重点策を要望する、とも。
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鈴木直道、こう語っている。
緊急事態宣言も外出自粛も法的根拠はない。私の思いつきで言っている。また、安倍首相への緊急要望は、北海道を重点地域に指定してもらって感染拡大防止のモデルをつくる、と。
道新紙面には、「政治決断」演出狙い、とのことも。
10数年前、東京都庁から財政破綻の夕張市へ派遣され、立て直し、その後夕張市長となり、昨年北海道知事となった男が鈴木直道だということ程度は知っていた。
が、今回暫らく北海道に行っていて鈴木直道のことをさまざま知った。
毎日、テレビに出てくるんだ。白いマスクをして。
まだ30代。全国で最も若い首長である。ともかく行動をおこす。その時々の権力やパワーが何処にあるか、アタックする。夕張時代、民主党が政権を握っていたころには、時の総理・野田どじょうへもアプローチしている。今は、安倍晋三、菅義偉、オリンピックがらみで小池百合子といった面々。
野心家である。恐らく北海道知事を2、3期やった後は国政へ打って出るであろう。自民党が担いで国政に。最終的には、日本のトップを視野に入れているのでは。今後の日本のトップ、小泉進次郎が云々と言われているが、進次郎よりも若いし、ぼんぼんの進次郎、何よりも苦労人である鈴木直道には叶わないであろう。
演出狙いということも感じられる。
法的根拠のない緊急事態宣言など、私には大きな迷惑であった。そのニュースを見たカミさんから、羽田に戻っても2週間、14日間はどこかのホテルに自主退避していてくれ、と電話がかかってきたのだから。ほとんど人に会わない所をふらふらしている私だったのだが。
鈴木直道、パフォーマーといえばパフォーマーであるが、自らを律することも徹底している。
夕張市長時代には、市長報酬を70%カットし、日本一安い給与の市長と言われたそうだ。公私混同、公金で家族旅行をしていた東京都知事・舛添要一や、台風に襲われた時、公よりも私を優先して行動したにもかかわらず、3か月間わずか1割の報酬カットとした、千葉県知事の森田健作のセコさとはまるで異なる。鈴木直道、退職金もゼロとした。
鈴木直道については改めて記そうかとも思っているが、今日はこの程度とする。
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この日も晴天。
朝食を食べた後、駅へ。
前日は10分ばかりかかったが、この日は網走駅まで6、7分であった。
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この辺りの車道は完全に除雪されている。
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駅の手前の網走川を渡る。
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網走駅。
「オホーツク・網走」の大きな看板がある。
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このような像が。
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このようなモヨロ人。
<・・・、網走の”モヨロ人”は、れきとした北方人である。冬は竪穴を掘って、あつく草の屋根をかぶせ、寒気をふせぐ。かれらは、流氷の海で海獣を追ってくらしていた>、と司馬遼太郎は記している。
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筆文字で書かれた「網走駅」の看板。
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このようなもの。
私はこの後、駅の案内所で博物館巡りの1日パスを求める。15年前にも行った3つの博物館へ行くつもりであった。
が、道立北方民族博物館は急遽閉鎖されたという。仕方ない。網走監獄博物館とオホーツク流氷館のみに行くこととする。


ところで、芭蕉の『奥の細道』と並ぶ国民的紀行文学とも言える司馬遼太郎の『街道をゆく』は、さまざまなスピンオフ作品を生んでいる。
『街道をついてゆく』(朝日新聞出版 2008年刊)という週刊朝日の記者・村井重俊の「司馬遼太郎番の6年間」というものもある。
NHKスペシャルで映像で追ったものを書籍化した『司馬遼太郎の風景』(日本放送出版協会 1999年刊)というものもある。
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その書にある「オホーツク街道」関連地図を複写する。
司馬遼太郎は、1991年9月と1992年1月の2度オホーツクを訪れている。網走にも。
網走ではモヨロ貝塚や常呂の遺跡を訪れている。
この地図には記されていないが、司馬遼太郎、オホーツク沿岸のあちこちの遺跡を訪れる。水先案内人の専門家に導かれて。


一昨日で北海道から羽田へ帰ってきて2周間となった。昨日で半月。
この半月間、世界中の新型コロナウイルスの状況は劇的に変化している。ヨーロッパがパンデミック。アメリカも危ない。これからはアフリカとなろう。
このような時に、能天気に「オホーツクふらふら行」なんてことを記しているのはどうか、という思いはある。第一、何故このような時にオホーツクに行ったのか、ということ。
実は3年前、オホーツクの流氷を見ようと計画した。
飛行機のチケットも予約し、ホテルも予約した。しかし、身体の具合がおかしくなった。何かヘンだな、という具合。予約はすべてキャンセルした。
2年前にも厳冬のオホーツクへ行こうと思った。
が、またも身体の具合がおかしくなった。何かヘンなのだ。医者に行くと、肺炎だと言われた。12日間入院した。
昨年もオホーツクへ行こうと思った。が、またも身体が何かヘンな状態となった。行くのを諦めた。今年の冬、2月にも身体の具合が何かヘンになった。今までと同じ。今年はさらに昨年からの足腰の痛みが加わっている。オホーツクへ行くことはだんだん厳しくなっている。仮に来年まで生を保ったとしても、厳冬のオホーツクへ行くことはより厳しくなろう。
どうなるかは分からないが、オホーツクへ行くこととした。
帰った後のこの2週間、孫たちはまったく来なかった。おそらくカミさんが2週間、14日間は来てはいけない、と言っていたのであろう。
昨日、孫たちが来た。ワーワー泣いたり、ウンチをしたり賑やかであった。彼らの時代、私は退場だな、ということを感じた。
一昨日であったであろうか、TOKYO2020からのメールが来ていた。
大坂なおみを起用した大会モットー。”United by Emotion”。何やってんだ、と思った。
聖火も日本へ来て、展示やリレーが始まるらしい。7月にオリンピックをやる、と。
何考えているのだろうか。
組織委員会のトップ・森喜郎もはっきり言ってヘラヘラだ。JOC会長でIOC委員の山下泰裕も、柔道は強かったが頼りないことこの上ない。
聖火リレーなんてことより、一刻も早く1年ないし2年の延期をIOCに申し入れるべきであろう。でき得れば2年の延期を。
現状に対応できなければ、東京五輪とパラリンピック、中止ということが十分に考えられる。

オホーツクふらふら行(7) 砕氷船おーろら。

オホーツクに流氷が来る「流氷初日」と言われる日は、大まかに言って1月中旬。氷がなくなる「海明け」は4月初めである。
で、網走の砕氷船おーろらは、1月下旬から4月上旬まで運行されている。特に2月には1日5便運航され、さらに金土日にはその日の状況によって、サンセットクルーズが組まれている。
2月28日、斜里から網走に戻った私はギリギリ間に会うⅠ5時30分発の第5便の予約を入れていたが、網走港に着くとサンセットクルーズも出るということなので、そちらに変更した。
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オホーツク沿岸、流氷が届く最南端である。
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流氷観光砕氷船おーろら、491トン、定員400人、日本の南極観測船「しらせ」のミニチュア版である。
船自らの重さで氷を割っていく。
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桟橋を離れる。
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デッキ上は、やはり寒い。
私は暫らくして客室に入った。
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大きな帽子岩の横を抜ける。
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この灯台を出ると、港内から外洋へ。
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オホーツクの海。
前方右上に黒く見えるものがある。種は分からないが、案外大きな鳥であった。
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少し進むと・・・
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だんだん流氷帯に入ってきたようだ。
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私は時々客室から出ては、展望デッキや両側のデッキから海表面を眺めていた。
長く白い航跡を引いて進む。
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時折りデッキに出るが、寒く冷たい。
すぐに部屋の中へ入っていた。
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部屋の中から写真を撮ると、窓ガラスに電気が写りこんでしまうのだが。
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これも。
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既出の『オホーツク街道』の中で司馬遼太郎は、流氷についてこう記している。
<黒龍江が、オホーツク海にそそいでいる。その水の量が多すぎるのと、オホーツク海が陸地や列島でかこまれていわば槽状をなしているため、淡水がたえず海水の上層をなしている。そのうちに上層の淡水が凍って、オホーツク名物の流氷がつくられるのである。いわば黒龍江は、流氷製造にとっては、重要な装置である>、と。
そして、<この川について、すこしふれたい。ロシア語ではアムールというが、・・・>、と続き、ロシア人、中国人(漢民族)、靺鞨(まっかつ)、女真、モンゴル人、さらには金、元と歴史物語となっていく。
司馬遼太郎が冬のオホーツクを訪れた1992年には、砕氷船おーろらは既に運航していたはずであるが、砕氷船おーろらについての記載はない。
司馬遼である。
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私は、氷を見ている。
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部屋の中で温まっては、ほんの短時間デッキに出て。
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15年前に乗った砕氷船おーろらに較べ、船の揺れが少なく感じる。
15年前のおーろらは、もっとガンガンというかがくんとしたような覚えがある。
15年前に比べ、氷の厚みが少ない。
砕氷船おーろらの最大砕氷能力は、約80センチメートルである。しかし、この日のおーろらは、すいすいと進んでいく。少し後退しがくんと氷に乗り上げたのは、一度だけであった。
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流氷の海のサンセットクルーズ・・・
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美しい。
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お客は30人ほどであった。定員400人の船なんだが。
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暫らく前から港に向けて帰っている。
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港が近くなった。
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小さな灯台を過ぎれば網走港。
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約1時間ばかりの流氷クルーズであった。
網走港のクルーズ船の発着場、道の駅でもある。のろのろとしている私が駅へのバスをと思っている内に、駅へのバスは出て行ってしまったらしい。
道の駅の案内所でタクシーを呼んでもらう。寒いので扉の中で待っててください。運転手が呼びに来ますから、と言われた通りにしていた。ほどなくしてタクシーは来た。ホテルへ帰る途中、コンビニで停めてもらい道新の夕刊とウイスキーのポケットびんを買う。
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その日、2月28日の道新夕刊一面。
ニューヨークの株式市場、ダウは過去最大の下げ幅となり、25766ドル、と。それでもそれから20日ばかり経った現在から言えば、6000ドル程度高い。東証も大幅下落しているが、今現在よりは4000円ばかり高い。
ここ暫らくのマーケット、いかにべらぼうなことになっているのか。
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この日と明日の天気予報。
網走の明日の気温は、最高-4°C、最低ー11°C。

オホーツクふらふら行(6) 彦市老人。

<留守番さんーーというのがこの老人、村田彦市に与えられた今の仕事だった。彦市はことし七十一。もう人生も終りにきていて、海に出てゆけないほどに老耄れている。しかし子供の時からオホーツクの海で鍛えた彼の皮膚は老人になっても赤銅色の光沢を帯びて光り、骨組みはがっしりしていた。・・・>。
<老人はこの仕事を天職だと思っている>。
知床を離れ網走へ行くのに、この作品に触れないわけにはいかない。
戸川幸夫著『オホーツク老人』(昭和56年 立風書房刊 「北海道文学全集 第18巻 国境の海」所載)である。
1400~1600メートルの山々が連なる知床半島の形成から記されるが、何といっても村田彦市というオホーツクに生まれ、オホーツクで死んでいく老人の哀しい人生に涙する。


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上の画像は、知床を離れた翌日、網走の流氷館の展望台から眺めた知床の山々。
オホーツク老人・村田彦市、知床のウトロで生まれたが、今は半島を横切った羅臼に住んでいる。ひとりで。
女房や3人の息子たちを次々と亡くす。で、漁師たちが次々と引きあげた番屋の留守番さんとなっている。
<オホーツク海は秋になると荒れはじめる。羅臼の漁村から一家を挙げてやってきた昆布採りの漁師たちは、九月に入ると鍋や窯やストーヴや犬や猫を集荷船に押し上げて早々に去ってゆく。・・・・・。昆布採りの一家が帰ってゆくと次に引揚げるのは漁期を終えた鱒漁師たちだ。・・・>。
<海は一日一日と荒れ、オホーツク海を渡ってくる烈風は寒いとか、冷たいとかいう限界をもうとっくに越している。・・・>。
<雪は十月の末に来た。彦市老人の番屋は・・・>。
小さな番屋の人たちは引揚げる時、漁具を持ち帰るが、大きな番屋では漁網や漁具を持ち帰ることは不可能。その漁網や漁具を鼠の食害から守るために、猫が必要とされる。その猫に飯を食わせるために人間が必要だった。<留守番さんの制度はこうして出来上り、・・・>、ということなんだ。
留守番さんは、こうして知床の厳しい冬を猫とともに一人番屋で過す。
彦市老人は、長男を小さい頃に海で亡くす。次男は道楽者で酒と女と喧嘩が好きだったが、・・・、開戦の前年兵隊にとられ、小さな石っころひとつとなって帰ってくる。
ある冬、女房が高熱を出し、酷い状態となった。ウトロから知布泊を経て汽車の通じている斜里まで、泥流と溶岩流の大懸崖が至るところにある道を進む。綿のはみ出た布団が敷かれた橇を引いて。屈強な6人の男の協力を得て。が、オシンコシンの鼻で女房は息絶える。女房の亡骸はそこに埋める。
<「おかつは択捉(エトロフ)で生れて、オシンコシンで埋った。都会を知らずに一生を終えたが、せめて札幌ぐれえ見物させてやりたかったな」 老人は呟いた>。
何時だったかこの「流山子雑録」に記した覚えがあるが、今でも北海道の僻地で人に行きあうと、旭川か札幌で、でき得れば東京で2、3年過ごさせてやりたいな、と思う。特に若い人たちと行きあった場合には。
家族のいなくなった彦市老人、東京の工場にいる三男を呼び戻す。ウトロへ。そして、事情あり羅臼へ。
この三男は生真面目な男なんだ。酒や女とは縁遠い。結婚も自分の船を持ってから、と。7人が乗組む漁船を持つが、天候の激変で船は転覆、凍死する。
ある時、厳寒の海を若い娘が渡ってくる。小さな漁船を作る時、網走に行っていた三男の恋人であった。が、彦市老人は自分がその男の父親だと名乗らない。
<異性の肌も知らずに死んだ三男を哀れと思っていたが、謙三にはこんないい娘ができていたのか。彦市老人の頬に、やっと晴々した微笑がうかんだ>。
しかし、彦市老人もそれから暫らくして死ぬ。
飼っている猫の中、老耄れの一匹が氷盤に乗って流されかけた。それを助けようとして氷の海に落ちてしまい、氷の塊りに何度も打ちつけられる。傷だらけになりやっと這いあがるが、鼓動はだんだん微かになっていった。<眼ざとい鴉が・・・、くびくびと咽喉を鳴らした。黒い喪服の参列者たちは、・・・>。
オホーツク老人・村田彦市、こうして一生を終える。
知床の物語である。


この物語をもとに映画・『地の涯に生きるもの』が作られ、あの得も言えぬ歌・「知床旅情」が作られた。
森繁久彌の作詞、作曲。
最初は『さらば羅臼』とされたが、それが『知床旅情』となった。森繁久彌らしい叙情歌である。知床での生き死にの物語ではない。あくまでもモリシゲの叙情であり、抒情。
やはり森繁久彌による同曲への詞・『オホーツクの舟唄』の方が趣きがあろうか。

オホーツクふらふら行(5) 流氷物語号。

斜里駅へ戻ってくる。
駅員に近くの食堂を訊く。
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駅を出て左へ行けば一軒あるという。また右へ行った道の駅に食堂があるという。
道の駅なら開いていよう。そちらに行くこととする。幾つもの定食がある。が、ボリュームいっぱい。私には食えそうにない。一番シンプルなラーメンを頼む。それでも大きなチャーシューが入っている。半分ほど食ったか。
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ホテルに預けた荷物を受け取り、駅に戻る。
若い男と女の二人連れがいる。持ち物から見て旅行者のようだ。その後、60代と思われる10数人の団体が入ってくる。引率している男がいる。前夜はウトロあたりで泊まったのであろうツアー客のようだった。
13時48分発の網走行きには暫らく時間がある。
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網走と斜里の間、厳冬期には流氷物語号という2両連結の電車が1日2往復している。
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斜里の駅には、このようなジオラマもあった。
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時間となり、駅構内へ入る。


突然であるが、少し寄り道をする。
若い人はご存じないであろうが、5、60年前、木山捷平という少し風変りな物書きがいた。その木山捷平に『斜里の白雪』という短編がある。「北海道文学全集 第19巻 凝視と彷徨」(昭和56年、立風書房刊)に収載されている。
著者とおぼしき木井という男が釧網線の川湯駅から汽車に乗る。網走まで行くつもりなんだ。途中、斜里駅に着いて、約50分の待ち時間となる。その間、網走行きの急行も来るのだが、急ぐ旅でもなしと斜里の駅にいる。と、川湯の駅で会った色黒のおばさんに会う。
<「おらここで降りて、越川へ帰るだ」、とおばさんは言った。「越川? 越川って何処かね」というと、「ここから東へ13キロほどだ」とおばさんが言った。・・・>。
今は、越川という駅はない。根室国と北見国を結ぶというところから名づけられた根北線の駅。根北線、1970年に廃線となった。これに限らず北海道の鉄道、廃線につぐ廃線である。
ところで、色黒のおばさんは、川湯の温泉に女中に出した17歳の娘が宿のコックとどうこうとなってしまったので、意見をしに行った、と言う。タイトルの「斜里の白雪」というロマンティックな場面など、どこにも出てこない。
ただ一か所、このような件がある。
<木井は先刻から気づいていたが、小母さんの着物の褄からのぞいている、小母さんの臑は雪のように真っ白だった。本来は・・・>、という件に。
色黒のおばさんの白い臑、なるほど、これが「斜里の白雪」か、と気がついた。木山捷平、何ともややこしいことを書く。
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なお、知床博物館の「鉄道の歴史」のコーナーにもこのようなものがあった。「こしかわ」。
北海道と鉄道、切り離すことができない。しかし、現実には厳しい状況が続いている。


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13時48分、流氷物語号は斜里から網走へ向かう。
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右手にオホーツクの流氷を見て。
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車内。
以前、部活でスキーをやっていた娘が使っていたストックを持ってきている。これはあちこちで役立った。
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オホーツクを見ながら走る。
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浜小清水駅へ着いた。20分休むとアナウンスがある。
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JRの駅は、道の駅でもあるんだ。
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土産物が多く並んでいる。
が、私は何も買わない。
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手持無沙汰。
ホームへ戻ると、こういう人がいた。
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網走方面へ。
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オホーツクに沿って網走へ。
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趣きがある。
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流氷が迫っている。
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このようなところもあった。
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Ⅰ4時46分、網走に着く。
案内板でホテルの位置を確かめ、網走ロイヤルホテルへ。駅から3分となっていたが、私の足では10分ばかりかかった。
チェックインをすませ、部屋には入らずバッグを預け、すぐにタクシーを呼んでもらう。砕氷船・おーろらの予約を入れてあるから。


ダウ平均、昨日は何と3000ドルも下落した。29500ドル近辺から2万ドル前後となっている。1/3が失われた。
日経平均も2万3、4000円から1万7000円となっている。リーマンショック以来、私も大きなダメージをこうむっている。
東京オリンピック、パラリンピックもどうなるか。
中止となるおそれ、大であろう。